★Kenro Songs/旅と料理と音楽と

前期高齢者となった元・正社員サラリーマン(現在はパートタイム契約社員)は、旅と料理と好きな音楽の話と、オリジナル曲の制作で余生を過ごすのです。

イーグルス「ベスト・オブ・マイ・ラブ」/Album「オン・ザ・ボーダー」

 ご無沙汰しております。すっかり間が空いてしまいました。もうGW直前・・・。いいかげんE-のINDEXに行きましょう。

 DでDoobie Brothers、Donald Fagen(Steely Dan)の話をしたら、どうしてもEaglesを外すわけにはいきません。

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Eaglesの歴史

 彼らは1971年、リンダ・ロンシュタットのバックバンドとして集まったスタジオミュージシャン達が意気投合して結成し、翌72年にデビュー。

 70年代前半、彼らはDoobie Bros. Americaと共に「アメリカ・ウエストコースト・ロックの3大グループ」と言われ、70年代末までにシングル5枚、ベスト盤を含むアルバム4枚が全米1位を取るなど、大成功を納めました。 

 82年に「一回目の」解散をした後、各メンバーはソロ活動に入りますが、その後97年に再結成し、4つの新曲を含んだライブ・アルバムを発表(またもや全米1位)。コンサート活動を再開します。

 

 その後は毎年のように世界ツアーを繰り返しますが、2004年からは「フェアウェルツアーⅠ」と題した(冗談の)解散コンサートを展開、ライブのDVDも発売し大ヒット。

 そして2007年、28年ぶりに発売した2枚組スタジオアルバムが通算6枚目のNO.1となり、絶大な人気と実力を保ち続け、現在までアルバムのトータルセールスは2億枚を超えるとのこと。

  2016年に中心メンバーのグレン・フライ(Vo,G,Pf)が死去し、正式に解散してしまいましたが、現在ももう一人の主要メンバー、ドン・ヘンリー(Vo,Ds)を中心に再々結成し、グレンの息子であるディーコン・フライや美声のカントリーシンガー:ヴィンス・ギルをメンバーに加えてライブ活動を続けている、レジェンダリーなバンドの一つです。

 

 私は彼らの音楽が大好きなのですが、手放しで全面的に支持できるかと言えば、そうではありません。嫌いな部分もあり、好きと嫌いが混在しています。今回Blogに書くまで時間がかかってしまったのもそれが一因で、自分の中でどう評価するか・お薦めをどれにするか、迷ってなかなか決められなかったからなのです。結局、一番のお勧めアルバムはこれになりました。 

境界線上のアルバム

 さてこのアルバム”On The Border”は、彼らがデビュー3作目にして、大きな転換期:境界線の上に居た(線を越えた)ことを象徴している1枚です。

 

 一つの大きな出来事は、プロデューサーの変更でした。彼らをデビュー以来担当していたイギリス人のグリン・ジョンズを2曲完成した段階で解雇し、アルバムの途中からアメリカ人プロデューサー:ビル・シムジクに変更。

 そしてもう一つ、このアルバムからメンバーチェンジが始まるのです。

 当時のメンバーは、グレン・フライ(Vo,G,Pf)、ドン・ヘンリー(Vo,Ds)、バーニー・レドン(Vo,G)、 ランディ・マイズナー(Vo,B)の4人でしたが、この頃からグレンとドンの二人がソングライティング・チームとして確立し、バンド全体のイニシアチブを取るようになります。

 そして2人はバンドを、アコースティック楽器中心の「カントリー・ロック」バンドから、エレキ・ギター中心の「ロックンロール」バンドとして変貌させるよう動き出します。

  アルバムにはセッション・ギタリストとしてドン・フェルダーが参加し(M9 GoodDay in Hell(地獄の良き日)のスライドギター)、その後正式メンバーになります。これがきっかけで、これまでリード・ギタリストとしてEaglesのカントリー要素を強力に担っていた、バーニー・レドンの立場が危うくなって行きます。

 

 次の4枚目のアルバム”One Of These Nights”(呪われた夜・1975年)を発表した後、バーニーは脱退。入れ替わりのギタリストとしてジョー・ウォルシュが加入(Bill Symzykの紹介)、そしてジョーとドン・フェルダーは、その更に次のアルバムHotel Carifolnia”(1976年)で、重要な役割を果たすことになるのです。

(しかし2000年になって、ドンはバンドから突然解雇されてしまうのですが) 

お薦めの曲

M1 Already Gone

 彼らの人気を決定づけたデビュー曲”Take It Easy”の流れを組む軽快なロックナンバー。グレン・フライの友人のシンガーソングライター、ジャック・テンプチンの曲。

M4 My Man

 バーニー・レドンのペンによる、人懐っこいメロディのカントリーフレーバー溢れる曲。バーニーの弾くペダル・スティールギターをふんだんに味わうことができます。

M7 Ol' '55(懐かしき55年)

 「酔いどれ吟遊詩人」こと、トム・ウェイツ作の味わい深い曲。トムのだみ声とは違い、グレンのソフトな声と、ドン・ヘンリーの少しハスキーなハリのあるハーモニーが秀逸です。

M8 Is It True?

 これはBassのランディ・マイズナーの曲。コーラスのハーモニーが耳に残ります。

M10 Best of My Love(邦題:我が愛の至上)

 ビル・シムジクのプロデュースによる、彼ら初の全米NO.1ヒット。味わい深いメロディは、曲作りに参加したJ.D. サウザーの手腕だと思います。惚れ惚れする至上のコーラスワークも聴きものです。 

Eagles の他のアルバムと音楽の変遷

■1972年 Eagles First

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 デビュー当時の彼らは、さわやかでしかも分厚いボーカルハーモニーが特徴の「カントリーロック・バンド」でした。それは創設メンバーの一人、バーニー・レドン(ギター、バンジョー、スティール・ギター、マンドリン)や、友人のシンガーソングライター:ジャクソン・ブラウン、J・D・サウザーらによるものが大きかったようです。 

お薦めの曲

M1 Take It Easy 

 カリフォルニアのさわやかな風とともに颯爽とデビューを飾ったヒット曲。全米第12位まで上がりました。

M2 Witchy Woman (魔女のささやき)

 ネイティブ・インディアン風のアレンジが感じられる怪しいムードの曲です。後年の「呪われた夜」や「ホテル・カリフォルニア」との共通点も聞こえるような気がします。この曲の「魔女」とは、リンダ・ロンシュタットのことという説があります。こちらは全米9位。

M9 Peaceful Easy Feeling

グレンのヴォーカルがホッとする、穏やかで楽な気持ちになれる曲です。全米22位。 

■1973年 Desperado (ならず者)

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 西部開拓時代に実在したギャング団・ダルトン一家をテーマにしたトータルアルバムで、彼ら自身がギャングに扮しています。

 アルバムの裏ジャケットでは、全員が保安官に逮捕され、地面に並べて横たえさせられている写真になっています。(6人が縛られていますが、サポートメンバーのジャクソン・ブラウンとJDサウザーも一味に加わっているんですね)

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 全体的には地味でこれと言ったヒットは出ませんでしたが、味わい深い曲が多いセカンド・アルバムです。 

お薦めの曲

M4 Tequila Sunrise

 これは酒に弱い私には当初分かりませんでしたが、テキーラベースのカクテルの名前なんですね。

 バーで働くウェイトレスの女性にあこがれを抱きながらも相手にされず、仕事でも大した成功をつかめずに去ってゆく男・・・そんなドラマが垣間見える一曲です。グレンの温かみのあるボーカルが素敵な一曲。

M5 Desperado(邦題:ならず者)

 シングルカットはされませんでしたが、後に多くのアーティストからカバーされてスタンダードナンバーとなった曲です。

 自由と富を求めた余りの非道の末、犯罪を犯して監獄に入れられた「ならず者」に対し、「今の自分の境遇を正直に認め、人の愛を受け入れろ」と諭す内容が淡々と歌われます。

 哀愁のあるピアノのイントロや流麗なストリングスが美しく、彼らのコンサートの終盤で必ず歌われる名バラードです。

M9 Saturday Night

 カントリー/フォークのサウンドとワルツのリズムが心地よい曲。ドン・ヘンリーがドラムスではなくアコギを弾いて歌っています。実らなかった恋の思い出に執着している男の歌。

M10 Bitter Creek

 アコースティックギターとコンガの演奏にコーラスが乗っかる構成で、当時のライバルバンドAmericaにも似たサウンドです。ビター・クリークとは、ダルトン一家の一員だった男の愛称だったそうです。

 ■1975年 One Of These Nights (呪われた夜)

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 この4枚目のアルバムでは、J.D.サウザージャクソン・ブラウンは参加していません。代わりにドン・フェルダーのギターが大幅にフィーチャーされ、ソリッドなロックへと大きく舵が切られます。結果としてタイトル曲のシングルとアルバムが共に全米NO.1に輝きます。

 インストゥルメンタルM4 Journey of the Sorcerer(魔術師の旅)で一人バンジョーを弾き、グループ内で唯一カントリー/ブルーグラスの要素を担っていたバーニー・レドンが、このアルバムの後ツアー中にメンバーと不仲になり、突然脱退してしまいます。 

お薦めの曲

M1  One Of These Nights(呪われた夜)

 ベースとギターの低音部のグリッサンドのフレーズが印象的な曲。ハイトーンのコーラスも耳に残ります。全米1位。

M3  Hollywood Waltz

 得意のPOPなワルツ調の曲。歌詞はハリウッドの退廃をテーマにしていて、“Hotel California”のモチーフの発端になった曲と言われているようです。

M5  Lyin' Eyes(いつわりの瞳)

 全米2位とグラミー賞Best Pop Vocal賞を受賞した曲。グレン・フライが甘い声で、金持ちのオヤジと暮らしながら若い男と浮気を重ねる女性を諭す歌詞を歌っています。

M6  Take It to the Limit

 ベースのランディ・マイズナーがリード・ボーカルを取った曲。ゆっくりした3拍子のリズムなのに歌詞は「もう一度、ハイウェイで限界時速まで走ろう」と歌っています。実際にはすっかり疲れて今は走れないということを表現している、そんなダルでスモーキーな雰囲気が漂う曲。全米4位。

M9  I Wish You Peace(安らぎによせて)

 アルバムの最後を飾る、安らぎを感じさせてくれる曲です。作詞とリードボーカルはバーニー・レドン。でも脱退前の最後の曲で「君(君たち)の幸せを祈る・・・」なんていう歌詞は、偶然なのかなんなのか、複雑な後味が残りますね。 

■1976年 Hotel California

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 これは彼らの最大の問題作であり、商業的には頂点を極めたアルバムです。

 内容は60年代からの若者の理想郷としての「花のサンフランシスコ」「夢のカリフォルニア」幻想の終焉、ドラッグ禍も含めた「カリフォルニア=ハリウッドの退廃」がテーマの、トータルアルバムになっています。

 メンバーは、バーニー・レドンの後任のギタリストとしてジョー・ウォルシュが加入。更にソリッドなギターロックの要素が大幅に注入され、タイトル曲ではドン・フェルダーも作曲に参加して、ジョーと共にインスト部分を担っています。 

お薦めの曲

(タイトル曲は好きじゃないので、私はお勧めしません)

M2 New Kid in Town

 JDサウザーが曲作りに復活しグレンがゆったりしたボーカルを聞かせてくれる、メキシカンなリゾート感覚漂う名曲です。しかし内容は、「新しく出てきた若者はみんなの噂の的になるけれど、また別の新人が出てくればすぐ忘れられてしまう・・・」といった内容で、ハリウッドのショウビズ界を皮肉たっぷりに歌ったもののようです。

M7 Pretty Maids All in a Row

 ジョー・ウォルシュが珍しくピアノを弾きボーカルを取っているバラードです。幼くして亡くなった自分の娘に語り掛けている曲。歌い出しの”Hi there, how are 'ya? It's been a long time”で一気に涙があふれそうになります。ジョーは情の深い(ダジャレではありませんよ)良い奴だな!

 

 しかしバンドにとって不幸だったのは、今作があまりにも売れてしまったことでした。プロモーターは大規模なコンサートツアーを連続して組み、また次のアルバムでは更に「売れる」ことを求めるようになり、バンドはプレッシャーに苛まれて行きます。

 77年、大規模ツアーのストレスやメンバー同士の仲違いにより、ベースのランディ・マイズナーが脱退。後任に元Pocoのティモシー・シュミットが加入しますが、それまで毎年作って来たアルバム制作もうまく行かず、次作まで3年を要することになりました。 

■1979年 The Long Run

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 ファンが待ち望んでいたこのアルバムは、その注目度の高さから全米1位となり、タイトルシングルも1位。他にも2曲シングルカットされヒットしましたが、アルバム全体の印象は重くトータル性もなく散漫で批評家の評価も低く、メンバーの仲も最悪となり80年に活動停止、結局82年に彼らは解散してしまいます。 

お薦めの曲

M1 The Long Run

 in the Long Runと言うと「長い目で見れば(結局)」という慣用句になるんですね。グレンのR&B趣味が強力に出ていて、アル・グリーンが歌ってもおかしくない感じ。全米8位。

M2 I Can't Tell You Why(言い出せなくて)

 ティモシー・シュミットの作・ヴォーカル。この程度暗い曲のほうが、ティモシーの根アカすぎる声にはちょうどいいかも。若い頃バンドでコピーしました。シンセ・ストリングス(今で言うシンセパッド)の使い方のお手本のような曲。

M6 Heartache Tonight

 後ノリのリズムが心地よい、緩めのシャッフルビートのロックンロール。曲作りにこっそりボブ・シーガーが参加し、コーラスもしているようです。全米1位のヒット。 

■1997年 Hell Feezes Over

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 その後97年、MTVの誘いによって彼らは再結成。新曲4曲を含んだライブ・アルバムを発表し(全米1位)、アンプラグドをメインにしたコンサート活動を再開します。

しかし2000年、バンドはギターのドン・フェルダーを突然解雇。これは裁判に発展しました。 

■2007年Long Road Out Of Eden

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 13年ぶりに発表され、世界の音楽ファンをあっと言わせたのが、この2枚組20曲入りのスタジオ盤でした。全米全英共に初登場第1位の快挙。

 そこには、この長いブランクの間まるで何事もなかったかのように、あの往年のEagles Soundが展開し、鉄壁のハーモニーが復活していました。

「エデン(=楽園:昔のカリフォルニアのことでしょうか?)の外の長い道のり」のアルバムジャケットでは、ひたすら砂漠が広がり、4人がひたすら歩き続けている写真が掲載されています。「俺たちはこれからも、命の続く限りオアシスを探して歩き続けるのさ」というメッセージだったのでしょうか。

 たどり着いた海岸では、海底油田の掘削が行われていましたが、そこはオアシスとは程遠いもののようです。

 

 現在のところ最終である、このスタジオアルバムでは、彼らも歳を取ったのか、アップテンポのギターロック色は薄まり、昔のようなハーモニー重視の、落ち着いた印象的なメロディの曲がたくさん入っていて、アルバム通して違和感なく聴ききることができます。円熟の境地と言うのでしょうか。でも彼らは最初から、この表現力は携えていましたが。 

お薦めの曲

M8  No More Cloudy Days

 雲が晴れ、明るい日差しが差し込んでくるかのようなイントロがさわやかな一曲。グレンが相変わらずの優しいタッチで、別れた恋人に「もう一度やり直そう。二度とこんな曇り空みたいな憂鬱な思いはさせないよ」と歌う曲。これをシングルカットしなかったのは何故なんでしょう? 絶対ヒットしたはずなのに。

ちなみに邦題は「明日はきっと晴れるから」。そうじゃないんだよなー。

M9 Fast Company

 Blackな香りのプンプンするSoul寄りの曲。Brassも入り黒人ぽくファンキーな、アルバムの中では異色の曲。

M19  Center Of The Universe

 このアルバムの国内盤では全曲に邦題がつけられていますが、どれも最低で、無いほうが良いものばかりでした。一番ひどかったのはこれ。なんと「宇宙の中心で愛を叫ぶ」です。明らかに、昔の彼らと彼らのファンを知っている世代ではない人が担当したんでしょう。

 この担当者にとっては「セカチュー」が先で、このアルバムが後だったのかもしれませんが、このスタンスの人に洋楽を扱わせるべきではないですね。もし知っていたとしても、「セカチュー」で感動した層にEaglesを売り込もうという感覚に無理があります。 

 曲を一回でも聴けば「叫んでいない」ことはすぐ分かるはずだし、そもそも「ここは宇宙の中心じゃ・・・ない」と歌っているんだけど。

 日本のレコード会社もその中のスタッフも、世代が変わって人材不足になっていたのかもしれませんが、このころ既に日本で、洋楽が廃れていたということの証拠だったのかもしれません。

M20 It's Your World Now

 最後はグレンさんのマリアッチ・ミュージックで、人生を謳歌しながら終わりましょうか。

 カリフォルニアで夢破れ、ブルースを歌いながら砂漠のような街を歩き続けてたどり着いたのは、太陽が降り注ぐメキシコだった・・・というオチだったのでしょうか? 

最後に:Eaglesに対する個人的で身勝手な意見

 正直勝手ながら、私はHotel Californiaという曲は好きじゃありません。そもそもレゲエのリズムが嫌いだし、ギターの音の洪水(13回も音を重ねているそうですが)は、とげとげしいばかりで聴きづらく、そして何といってもその歌詞の中で、「花のサンフランシスコ」や「夢のカリフォルニア」幻想を暴露してしまったことが大きなショックなのでした。

 そのことの意味や後年におけるアメリカPOPS界全体への影響を考えると、何度聴いても後味の悪い思いを感じてしまうのです。

 

 それは例えて言うなら、「プロレスの試合には筋書きがある(八百長だ)」と暴露したような、そんな反則技的な「それを言っちゃあおしまいでしょう?」という感覚ですかね。今まで自分たちで築いてきたものを自ら壊す「ちゃぶ台返し」をされたような、虚脱感に苛まれてしまいます。(それが狙いだったのでしょうが)

 

 また私は、あいにくですが彼らのギター・ロック系の曲は好きではありません。初期のプロデューサー:グリン・ジョンズと同様、イーグルスはアコースティックなハーモニーを中心にした「カントリー/フォーク・ロック」のバンドとして活躍を続けてほしかったと思っています。

 なぜなら彼らのこの個性は他に比類・追随するものが無い、世界最高峰のクオリティであり、当時、ギター中心のロックバンドなど、ウエストコーストにはどこにでもいる時代でしたから、なにもイーグルスでこんな演奏を聴かなくても良かった、と思うのです。

  どちらかと言えばさっぱりしたものが好きな私には、ジョー・ウォルシュの奏でる音楽は、血の滴るビフテキのような脂ぎったものに思えてなりませんでした。

 もちろんこれは好みの問題にすぎません。個人的に何の恨みもありませんし、彼はきっと好人物だと思うのですが、曲が始まるや否や食欲が失われてしまうのです。残念ですが。

 私は実は、本当のイーグルス・ファンではないのかもしれませんね。

 

 長くなりました・・・。最後までお付き合いありがとうございました。

 

ではまた。