★Kenro Songs/旅と料理と音楽と

前期高齢者となった元・正社員サラリーマン(現在はパートタイム契約社員)は、旅と料理と好きな音楽の話と、オリジナル曲の制作で余生を過ごすのです。

エレキギターの故障修理

 ちょっと前のことなんですが、今取り組んでいる曲が佳境に入り、エレキのリード部分を録音しようかなと、久々にストラトを出して弾いて見たら、音が出ません。

 どうもセレクターがおかしいみたい。そこで修理することにしました。

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長年、紆余曲折を共にしてきたストラト君です

 PICK UPセレクターはもともと3ポジションだったのを、ハーフトーンをやってみたくて、40年くらい前に5ポジションのに変えたんですね。その時見よう見まねで配線をしたので、きっと断線したか、ハンダが天プラだったのでしょう。

 さっそくピックガードから外してみました。

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 あ、やっぱり断線でした。ついでにセレクターも確認しましたが、こちらも接触したりしなかったり。(それにしても仕事が雑だったね)


 セレクターの部品を交換しました。

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(横着しないで、弦ぐらい外してからやりなさいよ)

 結局弦は張り替えて、元に戻しました。ところが、ノイズがひどい。

 いろいろ調べた結果、コントロール部分はおかしくない・・・。あ、もしかして?

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 裏側の本体アースが外れていました。(写真は治した後です)

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 ノイズはほぼなくなりました。新しいセレクターも快調。これで作業が進められそうです。

 では、何とか年内もう一曲、完成させるべく頑張ります。

 

ではまた。

ドゥービー・ブラザース「ホワット・ア・フール・ビリーブス」 /Album「ミニット・バイ・ミニット」

 さて、Doobie Brothersです。彼らを語る時のキーワードは「ツイン」ですね。

 彼らはデビュー時、トム・ジョンストンとパット・シモンズのツインギター(一時期Steely Danからジェフ”スカンク”・バクスターが加入しトリプル・ギターとなったが、後にジョンストンが健康理由で脱退)、ジョン・ハートマンとマイケル・ホザック(のちにキース・ヌードセンと交代)とのツインドラムでスタート。

 そしてマイケル・マクドナルド加入後は、シモンズとのツイン・ボーカルとなり、ウェストコーストロックとブルーアイドソウルのツインジャンル(そんな言葉があるかどうか知りませんが)となりました。それぞれの「ツイン」が絶妙に絡み合った音楽性が彼らの魅力です。

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これも当時CDの出始めに入手したんです。中は輸入盤で3,800円。高かったなあ。

 彼らの音楽を一言で言うと、前半はギターカッテイング中心でハーモニーを利かせた「青春ロック」、後半はエレピ・サウンド中心の「都会のソウル・ミュージック」と言ったところでしょうか。

  私は彼らのアルバムをベスト盤も含め7枚持っていますが、どの時代もどのアルバムも、捨てがたい魅力があります。

 その中で最も息長くいつまでも色あせないのが、全米No.1になった”What a Fool Believes”が1978年のグラミー賞Song of the Yearを受賞し、ブルーアイドソウルの金字塔の一つとなった、このアルバムだと思います。(もちろん異論はあると思いますが)

おすすめの曲 

M2 What a Fool Believes

 マイケルとケニー・ロギンスとの共作。エレピとドラムのリラックスしたリズムで始まるこの曲は、当時多くの「イントロアレンジ・パクリ曲」を生み出しました。イギリスのマット・ビアンコが1991年にカヴァーしています。

 何か別のことをしていても、いつの間にかずっと頭の中で反芻してしまう、中毒性のある曲ですね。歌詞は「別れた彼女とまたやり直せる」と信じている愚かな男の話。 

M3 Minute By Minute

 こちらは恋人と別れようとする男が「刻一刻、離れようとしている・・・」と独白する曲。間奏のシンセサイザーはおそらく、シーケンシャルサーキット社の名機Profitですね。温かみのある懐かしい音! 

M6 Open Your Eyes

 マイケル・マクドナルド節の一曲。去って行った恋人に「もっとよく目を開いて見てほしかった」と訴える男の独白。ブルーです。 

M7 Sweet Feelin’

 パット・シモンズがリードボーカルのカントリータッチの曲。ニコレット・ラーソンが、暖かい癒しの声でデュエットしています。 

M9 You Never Change

 同じくパット・シモンズのリードボーカルに、マイケル・マクドナルドがブルーでソウルフルなコーラスを合わせています。これもついサビのフレーズを口ずさんでしまうナンバー。

他にお薦めのアルバム

1972年 トゥールーズ・ストリート

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 セカンド・アルバム。Doobiesの名前を一躍世界に知らしめた名曲 M1  “Listen to the Music”(全米11位)とM7  ”Jesus Is Just Alright”(35位)によって、彼らの地位は決定的になりました。世界中のアマチュアバンドが、こぞってこの2曲をコピーしたはずです。(私も学生時代にコーラスしました) 

1973年 キャプテン&ミー

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 引き続きアメリカンロックギター小僧のマストチューン、M2 ”Long TrainRunnin’(全米8位)とM3 ’China Grobe’(15位)が収録されています。スピード感のあるギター・カッティングの「トム・ジョンストン節」がさく裂、ウェストコースト・ロックの真只中でありながらも、南部風味も醸し出す、味のあるアルバムです。 

1974年 What Were Once Vices Are Now Habits(邦題:ドゥービー天国)

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 最初の全米NO.1であるアコースティックなゴスペル・チューンM4 ”Brack Water”を収録。この曲は当時、カリフォルニアの高校の音楽の時間に、コーラスの教材として使われたとか。間奏のアコギとフィドルの掛け合いもスリリングです。

 アルバム全体では、アーロ・ガスリーがオートハープを弾いていたり、メンフィス・ホーンズが入っていたりと、バラエティに富んだ構成になっています。 

1975年 スタンピード

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 Jeff Baxterが正式メンバーとして加入しトリプルギターになった、ウェストコースト・ロック時代の頂点のアルバム。

 モータウンの作曲チーム:H-D-Hの曲をカバーしたM6 ”Take Me in Your Arms”(邦題:君の腕に抱かれたい・11位)や、ニック・デ・カロのアレンジによりストリングスを大幅に導入し、演奏面で新境地を開いたパット・シモンズの曲M7  ”I Ceat The Hangman”など、聴きどころが満載です。 

1976年 Takin' It to the Streets(邦題:ドゥービー・ストリート)

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 マイケル・マクドナルドが正式加入しての1作目。このアルバムからMinite~までが、ある意味「マイケル・マクドナルド3部作」といったら言い過ぎかな。

 しかし彼の加入によりバンド内が化学変化を起こしたのは確かなようで、マイケル以外のメンバーも作風がずいぶん都会的になり、ソウルやR&B、JAZZ的なものに変化しています。

 パット+ジェフ・バクスタージョン・ハートマン共作のM1 ”Weels of Fortune”(邦題:運命の轍)は名曲。M2 “Takin’it To The Street”(邦題:ドゥービー・ストリート)、M7 “It Keeps You Runnin’”はマイケルのやりたい放題。でも好きだな。

 

 ちなみに次のアルバム1977年の”Livin’ On The Fault Line”(運命の掟)は、ほぼマイケルのソロアルバムと言っていい状況になっていて、バンドとしては低迷期と言えると思います。

 でもここでの葛藤が、次のMinute~で花開くのです。

その後のDoobies

 彼らは最初にご紹介した1978年のアルバム”Minute By Minute”の後、80年にもう1枚アルバム”One Step Closer”を発表しましたが、その後はソロ活動も増え、82年にフェアウェルツアーを行い解散しました。

 1989年には、マイケル・マクドナルドを除いた歴代のメンバーで再結成し、2010年にトム・ジョンストンをフィーチャーして往年のギターロックサウンドの新アルバム”Cycles”を発表。シングル曲”The Docter”もチャートイン(9位)。その後もライブを中心に活動を続けています。

 

 公式サイトによると、今年7月~11月にも50周年記念ツアーを行ったようです。トム、パット、マイケルと、3代目ベーシスト:ジョン・マクフィーをメインにしたメンバーだったとか。

 さすがにもはや「懐メロ・アーティスト」であり、過去のメンバーもずいぶん亡くなられていますが、彼らの音楽は現代のアメリカではフォロアーが現れていない、唯一無二のジャンルであると思うだけに、できるだけ長くやっていただきたいものです。

 

ではまた。

 

ドナルド・フェイゲン「I.G.Y.」/Album「ザ・ナイトフライ」

 さて今回はDonald Fagen先生をお薦めであります。彼は言わずと知れたバンドSteely Danのリーダー/コンポーザー/キーボーディスト/ボーカリストです。

 なぜ「先生」と付けたいかと言うと、彼の作った音楽が、同世代から後発のミュージシャンに与えた影響力、そしてポピュラー音楽界全体に与えた歴史的価値が、莫大なものであったからです。

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 彼はそのバンド活動とソロ活動の両方を通じて、プロ・アマを問わず世界中の多くのミュージシャンやエンジニア、プロデューサー達に多大な影響を与え、またデジタルレコーダーを中心とした音響機器の発展にも革新的な影響を与えました。(と、思います)

  1977年、Steely Dan名義のアルバム”Aja”では、アナログレコーダーを駆使してデジタルと聴き違うほどクオリティの高い録音を行い、シングル曲”Peg”も全米11位とヒットし、アルバム収録の“Deacon Blues”も好評価を受けました。(後年、Deacon Blueという名のbandが出てきたくらいです)

 80年の“Gaucho”では、アナログのドラム音声をサンプリング録音してコンピュータで鳴らす、いわゆるドラムマシン(サンプラー)を初めて使用。これも全世界に衝撃を与えました。

 そして82年に発表したこのソロアルバム”The Nightfly”では、フルデジタルのレコーダーを使用し、音像定位のしっかりとした、よりクリアでタイトな録音手法を確立させました。

 

 ビートルズサイモン&ガーファンクルの時代、レコーダーはモノラルや4トラックが主流だったため、ミュージシャンたちは悪戦苦闘をしながら多重録音(先に2トラックに録音した音を再生しながら別の音声をミックスして、空いている別の2トラックにダビングするピンポン録音)をして、なんとか楽器やコーラスの数を稼いでいました。その結果、先に録音した音は明らかに音質が劣化し、ステレオの左右のチャンネルのそれぞれの音の定位はカオス状態になってしまいました。

 今ではBass音がセンターでドラムがパーツひとつづつ左右に広がって定位しているのが当たり前ですが、当時それは不可能で、ベースとドラムが完全に左右に分かれているレコードもずいぶん存在していました。

 その後テクノロジーの進化により、レコーダーも8トラ→16トラ→24トラと進化して来ましたが、彼(彼ら)の音楽が台頭してきたことにより、音響機器のデジタル化が早まったことは間違いありません。

 

 結果としてDonald Fagen先生(≒ Steely Dan)は、彼(彼ら)以降、世界中の音楽の作り方や「音」そのものを変えてしまったミュージシャンと言ってもいいと思います。

Donald Fagenミュージックの魅力

 皮肉と風刺に富んだ歌詞、8ビートのロックンロールをベースにしながらもJAZZフレーバー溢れる奇妙なコード進行が進み、時にBluesやFunkの要素も見せながら、その上に都会的で洗練されたメロデイと絶妙のアレンジが乗って行きます。そしてそれらを完璧に表現するために集めた、当代一流のゲスト・スタジオ・ミュージシャン達。

  彼らを贅沢にこき使い、ミスのない演奏はもとより、計算しつくされたアレンジの中に、細かいフレーズや超絶技巧のプレイをふんだんに「いい音・いい音色」で盛り込みながら、それらを取りまとめる精密な録音テクニックの結果、決して部分部分が目立つのではなく、あくまでもボーカルをメインに立てる構成でまとめる手腕。まさに極上のPOPSの音空間が展開します。

余談ですが

 このアルバムが発売された当時、私はオーディオ販売店に勤めていました。お客さんにシステムコンポやミニコンポ、単品のアンプやスピーカー等の「音質」を聴かせるための視聴盤(LPやカセットテープ)として、始めの頃はAjaを使っていましたが、これ以降はずっとNightflyに切り替えました

 何故ならばこのレコードが、オーディオ機器の再生能力(ボーカルや楽器の定位・音の立ち上がりや余韻、低域の締まり具合など)を聴き分けるのに、当時一番良い音源だったからです。(クラシックやモダン・ジャズ等は別として)

 おそらく当時、日本中のステレオ売り場で、新製品発表会で、オーディオ・フェア(死語ですね~)で、”IGY”が流れていたことと思います。

おすすめの曲(このアルバムに捨て曲はありません!)

M1 I.G.Y.

 このアルバムは全体が、「1950~60年代のアメリカの地方都市に住んでいた若者の心情」をテーマにしたトータルアルバムとなっていますが、これは1957年の国連「国際地球観測年International Geophysical Year)」を題材にした曲。

 I.G.Y.は、人類初の人口衛星スプートニク号や、バンアレン帯の発見、南極の昭和基地建設など、多くの成果があったプロジェクトとされています。「理想の世界がやってくる」と浮かれることで、実は背後にある漠然とした不安を歌っています。Donald先生のシンセによるハーモニカ音が秀逸。全米26位のヒット。

 M2 Green Flower Street

 「山の手の住宅街で殺人が起きた」と始まる、ミステリー映画の挿入歌のような、薄暗く怪しい焦燥感のある曲。中国人の若い女性との、その後の事件がどうなるのか気になります。

 M4 Maxine

 映画の一場面のようなムードのある曲。間奏でマイケル・ブレッカーが吹くTenor Saxが素晴らしい!

 M5 New Fronteir

 核シェルターの中でのバカ騒ぎを歌う曲(核のボタンは押されていないが)。そう考えると、親の金で調子に乗って騒いでいる若者達に腹が立ってくるのですが、このノリの良いリズムが、だんだんとクセになってしまいます。

 M6 The Nightfly

 ベルツォーニ山の麓にあるという架空の独立系ラジオ局 ”WAJZ” のDJ:レスター・ザ・ナイトフライが歌う、番組のテーマ曲という設定。(ジャケットの写真に写っているのがDonald演ずるレスターです)タイトなリズム、粋なコード進行、ソウルフルな女性コーラス。何度でもヘビーローテーションしたくなる曲です。

 M8 Walk Between The Rain Drops

 マイアミのリゾート地での恋愛を歌う、彼にしては珍しく素直な曲。JAZZYなオルガンのスピード感が心地よい一曲です。JAZZボーカルのメル・トーメがカバーしているとか。

他にお薦めのDonald Fagen先生のアルバム

 彼はソロとして4枚のアルバムを発表しています。サウンドや音楽性についてはほぼ一貫していて大きな変化はなく、アルバムが出るごとに新しい曲がどんどん増えていく・・・という感じです。

 但し聴きようによってはマンネリ化・パターン化した連作とも言えます。

 逆に考えれば、それほどSteely Danとして作ったものや、The Nightflyで確立したものの完成度が高かったとも言えると思うのですが、そういう意味では、以降の作品に新しい驚きはあまり感じられないかもしれません。

 でも演奏と録音は毎回最高ですし、どれも必ず素晴らしい曲があります。敢えてご紹介しましょう。

 1993年 Kamakiriad

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 蒸気で走り、水耕栽培の野菜畑がついているという、架空の近未来の自動車“カマキリ号”に乗った主人公が、大陸を縦断するというストーリーのアルバムです。 

M4 Snowbound

 スローな16ビートのハートウォームなメロディ。バックに流れるブラスのアンサンブルが、雪解け水のように清らかで心地よい感触です。

 

2006年 Morph The Cat(一番のお勧め!)

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 彼曰く、ソロ3部作の完結編とのこと。完成まで2年をかけた58歳の時の作品。モーフ・ザ・キャットとは、巨大な猫の幽霊のようなものがNYに降りてきて、市民に恍惚を与えて行くという話。トータルとして”The Nightfly”にかなり近い、続編と言っていいアルバムです。

 M2 H Gang

 Hギャングという名前の架空のバンドの、誕生から解散までを歌った曲。

 イントロのBass一発と軽いワウのかかったギターソロで、まずやられます。ミュートしたトランペットのJazzyなオブリガードに、(うわ~いいなー)キュンとしてしまいます。ずっと聴いていたい。これも1曲リピート(ヘビーローテーション)必至の曲です。

 Hギャングというのは変わった名前ですが、昔、世界一の名手と言われたセッション・ドラマーのスティーブ・ガッドが、"Gad Gang"というバンドを結成していました。そこから取った名前かなと思います。

 M3 What I Do

 若い頃の彼とレイ・チャールズの亡霊との会話という内容のブルース調の曲。これはThe Nightflyに入っていてもおかしくないと思います。

 M5 The Great Pagoda Of Funn

 恋人たちに人生の厳しい現実が待っていることを仄めかしている曲。ムーディーな雰囲気の中、またもやミュート・トランペットがいい味を出しています。

 

 2012年 Sunken Condos

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 64歳の時に発表した作品。円熟の境地と言うのでしょうか、少しも衰えを感じさせない仕上がりです。(キャッチーな曲は減りましたが)

 M2 I’m Not The Same WithoutYou

 少し速めのシャッフルナンバー。いつものSynth Harmonicaが聴けて”Donald Fagen節”が堪能できる一曲。

Danald Fagen以後の世界

 以上、長々と書いて来ました通り、私は彼の音楽が大好きで、あまり聴いていない方々にはぜひご視聴をお勧めしたいのですが、それと並行して憂いを感じていることがあります。

 

  彼(彼ら)の作った曲や録音技術・手法は、アメリカンPOPSの一つの頂点であり究極と言えるものですが、穿った見方をすれば、「頂上にたどり着いてしまった」とも言えるのではないかと思います。

 その後、Steely Danフォロワーと思しきバンドやアーティストも複数出ていますが、残念ながら先生を超えるものは出てきていません。このカテゴリーの音楽や手法は、この先いくら取り組んでも、その先にはもう廃墟しかないのかも・・・。

  そしてアメリカのポピュラー音楽界が、現在のようにコンピュータ・ミュージックが蔓延してしまった原因の一端が、ここにあるのかもしれません。

 

 例えばドラムマシンやサンプラーは、その後日本のAKAIRolandが開発した製品が世界を席巻し、誰もが手軽に使用できるようになった半面、そのサンプルデータに保存された「プロ・ミュージシャンの音」は、テクノロジーのさらなる進化により、誰でも利用できるものになって行きました。

 しかし、やがてそのサンプルデータとともに、ミュージシャン自身のプレイする「音源」も更新されないまま、古臭いものになって行きました。

  そしてHIP HOP/RAPの流行による、16beatの台頭と8beatの没落。その間、RockやJazzを中心に演奏してきたスタジオ・ミュージシャンやロックバンドは、16beatへの対応をしてこなかった。

 それがミュージシャン本人の首を絞めることになり、今はドラムやベースやギターのようなアナログな楽器までもシンセ音源や電子音にとって代わられ、スタジオ・ミュージシャンという存在自体が不用なもの(少なくとも表舞台から消える)になって来たような気がします。

 

 その流れは、Donald先生の音楽が常人には到底到達できない超高度なレベルで完成することによって、他の追随の余地がないものとなってしまったことが、大きな発端となっていると思います。

 そしてそれとは別に、彼らの「発明」したものが、一般に広まる経過の中でどんどんマイナーコピーされコモデティ化され、音楽家ではない人までも(たとえば私のようなアマチュアに至るまで)が、音楽を作ることが可能になった。

(そもそも "The Nightfly"では、ドラマーが叩いたリズムのデジタル音声を小節単位で切り貼りしループ再生する技術が、既に取り入れられているのです)

 現在のように、クラブDJによるラップバトルといった、はたして「音楽」と言えるかどうかわからないギリギリにまで電子楽器(?)が発展し利用され、その小さな筐体の中で、昔、人間が演奏していた音が、電子化されパターン化されエンドレスにループされている状況は、彼(彼ら)がきっかけで始まったのではないのか・・・。

 

 そう考えると、この作品群は旧時代の音楽の最高到達点であると同時に、それまでの裏方から表舞台に駆り出され華やかなスポットライトを浴び、栄華を誇ったスタジオ・ミュージシャン没落の発端ともなった慰霊碑に近いものなのではないか・・・。

 これもFagen先生一流の「皮肉」なのかも知れません。

 

 そんなことを考え複雑な思いに駆られながら、私は今も彼の素晴らしい作品群を聴き続けているのです。

 

 今回も長文で、ちょっと分かりくかったですかね。おつきあい頂きありがとうございました。

 

ではまた。

 

You Tube チャンネル7曲目「愛していたい」を公開しました

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 今回はミディアムテンポのバラードに取り組んでみました。

  いつものように、御用とお急ぎのない、暇で暇でどうしようもない方、変なものを見聴きしたがるモノ好きな方、何があっても冷静でいられる方、めったに怒らない気の長い方、耐えて聴いてみていただけますでしょうか。

 今回はまた4分台後半の御辛抱となります。よろしくお願い致します。

www.youtube.com

ボーカルの処理が向上したかな?

 以前の曲と比べると「音質の処理テクニックがずいぶん向上したな」と、自分では評価しています。(いや、まだ音の「暴れ」がたくさんあって、決して聴きやすいものではありませんが)

 

今回のボーカルの処理はこのようにしています。

  • 録音時、現有TASCAMTEAC)のオーディオ・インターフェイス:US366の内蔵ソフトウェアでコンプレッサーをかけておく
  • ノイズゲートでブレス音などの余分な雑音を極力カット
  • パラEQ(主にプリセットパターン)をかけて、低音域を減らし声の籠りを抑える
  • コンプレッサーをかけて音量を平均化する
  • 更にエキサイターで音の立ち上がりを良くし
  • ディエッサーで「サ行」の歪みを抑え、
  • 最後にリミッターで全体の音量を上げつつピークを抑える

 というエフェクト掛けまくりの処理を行った結果、だいぶ聴きやすい感じになって来たと思います。(これ以上は「そもそもの声が悪い」という話になるので、改善はかなり難しくなってきます)

 今後の課題

 正確にはエレアコですが、やはりエレアコはしょせんエレアコであって、本来のアコースティックギターとは、似て非なるものですね。ボディのコンパクトさが原因なのでしょうか、音が薄っぺらくチャラチャラした音色になりがちです。近所迷惑を気にして大きな音が出せないため、手がちじこまっているせいかもしれませんが。

 現在はライン入力とマイクでの集音とを併用しミックスしていますが、まだまだ研究が足りないことを痛感しています。

 

 まず私は自慢じゃありませんが、音楽教育を受けたことはありません。もちろん小中学校で音楽の授業はありましたが、成績は5段階の2が定位置でした。

 名曲鑑賞は好きだったし楽譜の記号(クレッシェンドだのダルセーニョだの)は理解していましたが、算数の頭が無いので調が変わると理解不能となり、楽譜を見て音程を意識することができませんでした。

 音楽理論にはまるで興味も沸かず、ドミナントと言われてもマーケティング用語としか思えないし、トニックと言われたら男性用シャンプーを思い浮かべるくらい、コード理論にも疎い状況です。

 

 曲を作る際は楽器を使わず頭の中だけでメロディを考え、一通り進行ができた後で鍵盤に向かい、コードネームを探すやり方をしています。

 最近はLogic Pro X君が、「その押さえ方ならコードはB♭だね」と教えてくれるので、とても助かっていますが、そうやってコードネームを確認してコード進行表を作り、そこに歌詞を書き込んで、自分なりの「楽譜」にしています。

 こういうところが、そもそもの方法論として間違っているのだろうと思うのですが、これしかやりようがないのが本音のところです。

 

 

 ピアノのフレーズについては、コードネームからコードブックで正しい抑え方を確認しながら何度も実際にコードを弾き、よりしっくりくる音を探して見よう見まねのボイシングを行っています。

 しかし特に左手がどうしようもありません。指が短いのでオクターブが「かろうじて」しか届かず、手が吊りそうになってしまいます。(せいぜい5度を抑えるのが妥当です)

 ピアノ、習いに行こうかな・・・。

 

 

 動画はいつもの pixabay.com からイラストと写真をお借りしています。今回は花の咲き具合や色で「時間の経過(年齢)による変化」を表現してみたつもりです。まあ・・音だけ聴いてくだされば結構です。

 

 いつの間にか、チャンネル登録をして頂いた方が、この文を書いている時点で2名いらっしゃいます。大変うれしいです。誠にありがとうございます。励みになります。

 

www.youtube.com

 他にも「まあ今後も聴いてやっても良いかな」と思われる方がいらっしゃいましたら、GoodかBadかのマーク(未だにどなたからも、一つもありませんが)とチャンネル登録を、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 コロナのおかげで長いような短いような年ですが、おかげ様で今年はここまで4曲を形にすることができました。年内もう1曲、なんとか公開したいなあと思っております。

 今後ともよろしくお願い致します。

 

ではまた。

【訃報】歌手のヘレン・レディさんが9月29日に亡くなられました。

 H-から始まる名前のアーティストですが、訃報が入って来たので割り込みします。音楽系ブログで、たぶん誰も取り上げてくれないと思うので、私が書きますね。

 私にとっては、Bette Midlerおばさん、Diana Ross と同じくらい大好きな歌手。愛したアーティストに亡くなられると、ショックが大きいですね・・・。

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これは1975年のアルバム”No Way to Treat a Lady” ほれぼれするような美しさです。

 私は彼女のレコードはLP7枚、昔LAで買ったベスト盤CDを1枚持っています。

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どれも擦り切れそうになるくらい、聴きこみました。

 彼女はオーストラリア出身。20代の時にシングルマザーでアメリカに渡り、ブロードウェイのミュージカル曲がヒットして頭角を現しました。やがて"I Am Woman"が全米NO.1となり、一躍「時の人」になりました。

 マスコミはこんな時、最も分かりやすい特徴をとらえ、レッテルを貼ってその人を紹介します。まるでそれ以外何もないみたいに見えますが、もちろんそんなことはありません。

www.udiscovermusic.jp

 詳しい経歴は報道に譲りますが、彼女は1966年から2002年までの間にオリジナルアルバムを16枚発表し、シングル曲でBillboard NO.1が3曲、TOP40に15曲を送り込んでいます。

 決してI Am Womanだけの人ではなく、ウーマン・リブ(死語)の象徴でしかなかったわけでもありません。

 

 どのアルバムも、スタンダード・ナンバーから新進気鋭の作曲家までバラエティに富んだ幅広い選曲で、シングルカットされなかった曲もとてもクオリティが高く、捨て曲がありません。(ドン・マクリーンの"And I Love You So"もカバーしています)

 歌唱そのものはそれほど上手い人ではありませんでしたが、ネアカなカラッとした感触でありながらも深い愛情をたっぷり込めるスタイルで、聴く人の心を温め励ましてくれるような、とても心地のいい歌を聞かせてくれるボーカリストでした。

 一定の名声を得た後は、その美貌とキャラクターの明るさから、TV番組のMCとしても活躍し、一時期は「アメリカ人の国民的恋人・理想の良妻賢母(若奥さん)」的なポジションも手にしていたようです。

 2015年からは認知症で老人ホームに入所していたそうですし、2度の離婚・3度の結婚と私生活も波乱万丈だったようですが、子宝には恵まれ、愛情にあふれた晩年だったようです。

 ご冥福をお祈りします。

 

おすすめの曲

Long Hard Climb

 1973年の同名アルバムからのタイトル曲。カントリーのシンガーソングライター:ロン・デイビス作。マリア・マルダーも歌っていました。邦題「長い辛いのぼり道」。

You and Me Against The World

 74年のアルバム"Love Song For Jeffry"から、ポール・ウィリアムスの作曲。母子家庭の母だった彼女がJeffryという新しい伴侶を得て更にJohdanという息子を授かり、家庭を守りながら生きてゆく決意を歌っているようです。

 エンディングで息子のジョーダン君との会話が挿入され、屈託のない愛にあふれた可愛らしい様子が想像できます。(discovermusicのニュースでは声は娘のトレイシーとなっていますが、アルバムに映っている赤ん坊はジョーダン君です)

Sterra By Starlight(星影のステラ)

 同じく"Love Song For Jeffry"から。JAZZのスタンダード・ナンバーの一曲。彼女の母の名もステラでした。暗く深みのあるアレンジです。

Angie Baby

 74年のアルバム"Free And Easy"から、彼女の3曲目の全米NO.1ヒット。アラン・オデイの曲。ブルーな雰囲気の中で友達を励まそうとする表現が素敵です。

Bluebird

 75年、アルバム”No Way to Treat a Lady”から、レオン・ラッセルの曲。レオン本人も新婚の奥さん(Marieさん)とデュエットしてヒットしましたが、癖のない明るさ・伸びやかな声、ハッピーな雰囲気はこちらが少し上かな。

Ten To Eight

 アルバム”No Way to Treat a Lady”の中の1曲。朝8時10分前、これから仕事に出かけようとするサラリーウーマンを、そっと見つめて陰で応援する曲。

Gladiola

 76年のアルバム"Music Music"の中の1曲。田舎町から都会へ出ようとする男が、田舎に残してゆく彼女に語り掛ける曲。ヘレンの歌と哀愁を帯びた管楽器のアレンジが心にしみます。

 

 YouTubeでは、70年代の最も輝いていた時代とともに、すっかり年老いて太った老婆になった彼女の、2013年や2015年のLIVE映像も見ることができます。若い頃からのファンにはちょっと残酷ですが、でも声が全然変わっていない! 相変わらずハリのある、元気な暖かい声なんです。

 「あーやっぱりヘレンおばさん凄い!」

そんな風に思いながら、涙がこみ上げてしまいます。

 

 私は当分、「ヘレン・レディ追悼週間」を過ごす予定です。

 

ではまた。

 

 

ドン・マクリーン「アンド・アイ・ラブ・ユー・ソー」/Album「タペストリー」

 D-のビッグネームが続きましたので、この辺で少しマイナーなアーチストをお勧めしましょう。今回は1970年代から80年代にかけて、さわやかな風のような美声を聴かせてくれた、ドン・マクリーンです。

 

 彼は1971年のセカンドアルバムからのシングル「アメリカン・パイ」を大ヒットさせ、一般的には「アメリカン・ポップス史上屈指の一発屋」のように扱われていますが、本来はギター一本で、その美声を活かし地味ですが優しさにあふれた曲を切々と歌う「弾き語り」スタイルのフォーク・シンガーです。

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1970年のデビューアルバム。とてもシンプルなジャケットです。

 彼は1945年、ニューヨーク生まれ。50~60年代のロックンロールの黎明期にはバディ・ホリーに夢中だったとのこと。高校卒業後は地元のクラブでフォーク歌手として歌いはじめ、ピート・シーガーのフォーク・リバイバル運動に参加した後、1970年にこのアルバムでデビューしました。

 特にヒットはしませんでしたが、アコースティック・ギターをメインにしたサウンドと優しい語り口の佳曲が並び、評価の高いアルバムです。 

おすすめの曲

A1 Castle in The Air

 1981年に再発売されスマッシュヒットになった、さわやかなイメージの曲。

B1 Tapestry

 キャロル・キングとはまた違う、ギター弾き語りスタイルのフォーク・ソング。

B2  And I Love You So

 これは多くの歌手にカバーされた名曲。特に73年にベテラン歌手のペリー・コモが歌って全米29位のスマッシュヒットになっています。あのエルビス・プレスリーもカバーしています。

アメリカン・パイについて

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 翌1971年のセカンドアルバムからシングルカットされたこの曲は、ジャケットのインパクトやアレンジの良さもあってヒットし、72年の1月15日から4週連続全米NO.1になりました。

 8分を超える長尺の曲だったため、シングル盤のA面は途中でフェイドアウト、B面はフェイドインする構成で、それぞれ「パート1、パート2」と名付けられていました。

 

 またこの曲は当時から「難解な歌詞」が話題となっていました。いかにも長年かけて練り上げられたような比喩や隠喩が多く使われています。中学生の頃、私は歌詞の意味をなんとなく理解していましたが、「ミス・アメリカン・パイ」って、どんな女性(女性象)なのだろう・・・と妄想していました。(これまで何度となくいろんな方が解説していますので、ここで敢えては書きませんが)

 

 彼が13歳の時、大好きだったバディ・ホリーやリッチー・ヘブンスが同じ飛行機の事故で亡くなったことを知り、大きなショックを受けました。彼はその日を自分の「音楽が死んだ日」として記憶し、長い年月にわたって温め、たくさんの思い入れと歌詞の推敲を重ねて、この曲を作り上げたのでしょう。

 バックにピアノやドラム、ベースなどが入り、コーラスも効かせたロックバンド然とした軽快なリズムで、本来の彼のスタイルからすればかなり異端のアレンジです。まるでサイモン&ガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のアイデアを踏襲したような構成ですが、それはサウンドそのもので昔のアーティスト達へのトリビュートを表現していたのかもしれません。

 余談ですが1(私のアメリカ旅行での"American Pie"経験)

 1999年、私は当時勤めていた会社の主催する「アメリカ市場視察旅行」に参加しました。LAの街やショッピングセンター等を見学した後ラスベガスに立ち寄ったのですが、泊まったホテル「ニューヨーク・ニューヨーク」の1階のラウンジで、ピアノの弾き語りをしていた地元(たぶん)の歌手がこの曲を歌い始めるや、店内の客全員が歌に参加し、最終的に店全体を震わせる大合唱になって行くのを目撃しました。

 当時でも20年以上前のヒット曲だったわけですが、私は「この曲で今でもこんなに盛り上がるのか~。日本でもヒットしたけど、日本ではありえない光景。さすがは本場アメリカだな」と驚いたものです。

 

 ちなみにドン・マクリーン本人は、後年あるインタビューでこの曲のことを「働かなくて良くなった曲」と表現していました。よほどの収入につながったのでしょう。

 貧乏サラリーマンの私は、ただ「うらやましいな~」と思いましたが、彼はその後も活動を続け、2005年まで30年以上に渡り、15枚以上のアルバムを発表しています。

CDを入手するなら

 私が現在持っているのは先ほどのLP”Tapestry”と、このベスト盤CDです。

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例によってお徳用の輸入盤。20曲入りのオールタイムベストです。

おすすめの曲

 どれもおすすめの名曲揃いです。これ1枚あれば、彼の素敵なメロディや歌詞の世界を一通りすべて抑えておくことができます。

M11 Vincent

 生前、世間的評価を得られなかった薄幸の画家、ビンセント・ヴァン・ゴッホに捧げた曲。沁みます。

M9 Wonderful Baby

 もちろんAmerican Pieも大好きですが、私が最も好きな曲。

 この曲は、往年のハリウッドのミュージカルスターでタップダンスの巨匠だったフレッド・アステアを思って書いたとのこと。のちにアステア本人もレコーディングしています。

 曲はギター一本の弾き語りからスタートしますが、しだいにコーラスやストリングス、ブラスセクションまで入って、スイングジャズ風な展開になって行きます。

 余談ですが2

 これをプロデュースしているのが、元アトランティックレコードのプロデューサーだった、ジョエル・ドーン氏。彼は60年代、多くのJAZZのレコードで活躍し、70年代以降はベット・ミドラーのデビューアルバムでバリー・マニロウと共同プロデューサーを務め、ロバータ・フラックの「愛は面影の中に」や「優しく歌って」でグラミー賞も受賞しています。

 ちなみに、ロバータ・フラックが「優しく歌って:Killing Me Softry With His Song」で歌っている「彼」とは、ドン・マクリーンのことなのだそうです。

 

 いい曲、良い歌手に出会うと、さらにいい曲が出来上がる。そんなリレーの典型ですね。いい話だな。自分もそのリレーのバトンを持ちたいものです。

 

ではまた。

 

 

デヴィッド・ボウイ「月世界の白昼夢」/album「ジギー・スターダスト」

 D-で始まる大スターと言えば、デヴィッド・ボウイですね。代表的なアルバムは、やはりこれでしょう。シングルヒットは「スターマン」でしたが、私が一番の好きな曲は”Moonage Daydream”です。

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私がボウイを好きになったきっかけ

 高校生の時、クラスメイトに「デヴィッド・ボウイ小僧」S君がいて、その彼が「すごく良いからぜひ聴いてくれ」と、なかば強引にレコードを貸してくれました。当時から私はあまりイギリスのロックに興味は無く、更にジャケットの写真を見て「なんか安っぽい不良かな~」と、良い印象を持ちませんでしたが、聴きこんでみて良さが分かりました。

 当時、Chicago小僧でブラス大好き「アメリカン・ニューロック最高」と思っていた私はこれを聴いて「ギターバンドのベタなロックンロールもいいもんだな・・・」と思ったのです。

 もちろんボウイ流のロックンロールは決して素直なものではなく、王道と言うよりはかなり「クセが強い」変化球ではありますが、私にロックンロールというジャンルの良さを教えてくれたのは、S君とボウイだった。そう言っていいでしょう。(偉そうですいません)

紆余曲折の「天才」

 ボウイは1947年生まれ。64年にデビューし、69年の大ヒット”Space Oddity”以来、2016年に亡くなるまで、ずっと現役を貫いたアーティストです。

 世界には「昔取った杵柄(きねづか)=ウン十年前のヒット曲」だけで新曲を発表せず(できず)小規模なツアー(ドサ廻り)で稼いでいるアーテイストがたくさんいる中、50年以上に渡りニューアルバムを発表し続け、新曲を出す活動を続けていました。その意味でずっと「現役」を貫いた、稀有なアーティストの一人です。

 若い頃のグラム・ロック時代、アメリカに渡ったプラスティック・ソウル/ファンク時代、ヨーロッパに戻ったベルリン時代、バンドの一員となって自分を見つめ直したティン・マシーン時代、そしてソロに戻った晩年とありますが、その中で最も輝いていたのは、やはり才気にあふれたグラム・ロック時代でしょうか。私が最も好きだった頃です。

アルバムの魅力

 このアルバムは1972年に発表されました。原題は“The Rise and Fall of Ziggy Stardust and the Spiders from Mars”なのですが、当時の邦題は「屈折する星屑の上昇と下降、そして火星から来た蜘蛛の群れ」というものでした。よくもまあ、素直に直訳したものですね。

 レコード会社の担当者にもう少し英語力があって、更にもう少し中身を理解していれば、Ziggy Stardust を「屈折する星屑」とは訳さなかったと思うのですが、なんだか、担当者が英語ができないので、音楽は判らないけど英語ができる事務員さんに訳させたものをそのまま使った・・・みたいな気がします。敢えてわざと機械的な直訳にしたのかもしれませんが。

 もっとも当時の日本全体(または洋楽レーベルや洋楽マスコミ、およびそのファンである若者達)の英語力なんて、こんなものでしたが。

 もう少し中身を知って意訳すれば「ジギー・スターダスト&スパイダース・フロム・マーズの栄光と挫折」という感じかな。あ、でもこれじゃあ分かりやす過ぎて注目されないか。

 

 彼の作品の中で最も評価/人気が高い理由は、収められている曲それぞれの完成度が極めて高いことはもちろんですが、それとともにアルバム全体が、映画かミュージカルのサントラ盤のような一つの物語として作られた、とても完成度の高い「トータルアルバム」であるということでしょう。

 

 ”Ziggy Stardust”という、おそらく火星生まれの男が、地球滅亡まであと5年と迫っていることを知らない無知な地球人に、そのことをスターマン(=神または造物主)の言葉として伝えるため、地球に降り立ちロックスターになる。

 しかし名声を手に入れた男は、次第にエゴを強め堕落し絶望し精神を病んで追い詰められ、バックバンドである「火星から来た蜘蛛達」は解散、ついに男はステージ上で自殺する・・・という物語です。

お勧めの曲

M2 Soul Love

 タイトル通り、ソウル・ミュージックをイメージするサウンドです。後年、彼がアメリカに渡り”Young Americans”を歌うことになる兆しが、すでにここにあります。

M3 Moonage Daydream (月世界の白昼夢)

 彼の右腕であるミック・ロンソンのギターが、ここでも広大な宇宙空間を表現してくれます。間奏のフレーズがとても印象的で、癖になる一曲です。

M8 Hang On To Youself

M10 Suffragette City

 ノリのいいロックンロールナンバーです。

 

 他にお勧めのアルバム①

 1970年 世界を売った男(”The Man Who Sold The World”)

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このアルバムは、女装した彼・カウボーイのイラスト・これの3種類のジャケットがあります

  これはZiggy 誕生「前」の、とても重要なアルバムです。トータル性は希薄ですが、既に新しいキャラクターへの試行錯誤が始まっているところが感じられます。

 お勧めの曲

M1 円軌道の幅(Width Of  A Circle)←これも、よくぞ付けた邦題です。

 8分を超える大作。これもミック・ロンソンによる「宇宙空間」イメージの表現が素晴らしい! なんとなく「真空で無重力な感じ」が出ている気がします。

M3 Black Country Rock

 ノリのいいミディアム・ナンバー。ボウイがマーク・ボランっぽいスキャットを歌う場面があります。

M8  The Man Who Sold The World

 当時、シンセサイザーという楽器は出始めで、まだVCO(音源)が1個しかなく単音楽器でした。そのたった1音の単音楽器を、多重録音するでもなく白玉で使うアマチュアっぽいセンスに、思わずニヤリとしてしまいます。ベースラインも印象的。 

 

他にお勧めのアルバム②

1973年 アラジン・セイン (私が最も好きなアルバムです!)

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半分写真/半分イラストになっているところがモダンですね。

 ボウイがZiggyの次に世に出したキャラクターが、このアラジン・セインです。但しこの名前には「狂った若者(ア・ラッド・インセイン)」という意味もあり、どんなコスチュームなのかが不明の未完成のキャラクターだったこともあったので、Ziggyが変身したものという位置づけなのかもしれません。

 このアルバムから、ピアニストのマイク・ガーソンがバンドに加入。これまでアコースティック12弦やエレキギター中心だったサウンドが大きく変化し、クラシックやJAZZの要素が大幅に導入され、表現の幅が大きく広がりました。

 そういう意味では、サウンド面で大きなターニング・ポイントになったアルバムだと思います。(音楽雑誌にそう書かれたのを読んだことはありませんが、私はそう思っています) 

お勧めの曲

M1 Watch That Man

 これも「ソウル化」を感じる曲です。

M2 Aladdin Sane

 マイク・ガーソンを大フィーチャーした、前衛音楽スレスレの癖になる曲。

M5 Crached Acter(気のふれた男優)

 またもやソウルっぽいシャッフル・ナンバーです。

M6 Time

 再びマイク・ガーソンの独壇場。シュールで実験演劇的な香りのする一曲。ボウイがパントマイムをしながら歌う場面が想像できます。

M7 The Prettiest Star

 ボウイのSAXが伴奏の要になっている曲。ハンキー・ドリーの流れを組む耽美的なメロディです。

M8 Let’s Spend The Night Together

 ストーンズの「夜をぶっ飛ばせ」のカバー。もの凄い疾走感と爆発感は、マイク・ガーソンの大手柄!爽快です。

M9 The Jean Genie

ミック・ロンソンが「俺を忘れるな!」と主張しているようなブギーです。粘っこくていいノリです。

 

 「デビッド・ボウイと言えばジギー・スターダスト」という定番のイメージがあり、また彼には後年の「ベルリン3部作」も有名ですが、私はこの3枚のアルバムは、「グラムロック時代の3部作」と言っていいと確信しています。

 

 後年の彼はより哲学的になり、死の直前の数枚のアルバムは、まるで大学教授のような密度の濃い玄人受けする内容になりましたが、ポップミュージックとしてのエンタテインメント(プラスティック・ソウルやファンク時代がその最たるものでしたが)からは、だいぶ離れたものになってしまいました。

 一番アイデアやギミックが満載で、彼がアーティストとして最も輝いていたのは、やはりこの3部作だったと思います。もはや「古典」なのかもしれませんが、今でも愛聴しています。聴いたことがない方には、ぜひお勧めしたいです。

 

ではまた。