ダイアナ・ロス「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」
Dから始まる名前の中で、是非お勧めしたいのが、女性歌手のDiana Rossです。彼女は「アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人」と言われており、私が思うに、100年に一人の「神が与えた魅惑の声」の持ち主です。
このLPは1976年、カリフォルニアのユニバーサル・アンフィシアターで行われたライブ・レコーディングの2枚組、”An Evening With Diana Ross”(邦題:めぐり逢い)です。
DIANA ROSSとは
彼女は1944年、アメリカ・ミシガン州デトロイト生まれ。高校生の時にアルバイトで入ったモータウン・レコードで認められ、高校の友達と結成した女性コーラスグループの一員としてデビュー。最初プライメッツと呼ばれたそのグループは、後にシュプリームスと名前を変え、モータウン・レコード所属の鉄壁ソングライター・チーム、ホランド=ドジャー=ホランドのバックアップの元、60年代、イギリスのビートルズに対抗できるアメリカ側のグループとして、12曲もの全米No.1ヒットを放っています。(ビートルズは20曲ですが)
70年に彼女はソロとなり、”Ain’t No Mountain High Enough”がいきなりの大ヒット。1971年には映画「ビリー・ホリディ物語」に出演してジャズにも挑戦。ゴールデングローブ賞を受賞するなど大活躍。このJAZZシンガー期も、結構いい雰囲気なんですよね。
その後も2本の映画に出演しながら、6曲の全米NO.1ヒットを飛ばしています。
1980年のアルバム”Diana”では、時のディスコブームの立役者の一人、シックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、大幅なイメージチェンジに成功。最大のヒットアルバムとなりました。
1981年にはコモドアーズのライオネル・リッチーとデュエットした”Endress Love”が年間チャート1位。そして1985年にはUSA forAFRICAにも参加。
最後の世界的ヒットは1988年の”If We Hold on Together”でした。90年代以降は主にアメリカのTV映画で、女優として活躍しているようです。
直近では2017年のアメリカン・ミュージック・アワードにゲスト出演し、特別功労賞を受賞していました。(その時のショウの司会は次女で女優のトレイシーでした)だいぶ太っていたし声もかすれていましたが、まだまだ元気一杯でしたね。
私のDIANA ROSS体験(来日コンサートに行ったこと)
1978年私が20歳の時、彼女は来日してくれました。私はアルバイトで稼いだお金でチケットを買って日本武道館でコンサートを見ました。(ダイアナ・ロスを好きな友人も恋人もいなかったので、一人で行きました)
その日は、アンフィシアターとほぼ同じ構成のコンサートでした。
オーケストラが彼女のヒット曲をメドレーにした前奏曲を奏で、舞台が暗転した後、ダイアナがぱっと現れます。身にまとったドレスの布地を黒子が引っ張ると、何メートルも生地が横に伸びて行き、それがスクリーンとなって、彼女の少女時代やシュプリームス時代の映像が映されます。
その映像で大まかなプロフィールが紹介されると曲が変わり、ドラムロールの後ファンファーレが響き、一曲目”Here I Am”(バート・バカラック&ハル・デヴィットの曲)が始まります。目の覚めるようなスポットライトが彼女を照らします!
「あーこれが本場のショウなんだなー(涙・涙)」
当日のコンサートはなんと6つのテーマ別のコーナーに分かれていました。
まず開始直後は彼女のヒット曲を惜しげもなく続け、次のコーナーでは舞台装置が変わり、シンガーソングライターのニルソンが作った「オブリオの不思議な旅」を披露。
再度着替えた後は、過去の偉大な黒人女性歌手(ビリー・ホリディ、ジョセフィン・ベイカー、エセル・ウォーターズ、ベッシー・スミス)をトリビュートするコーナーとなり、彼女達の曲を、当時ステージで着ていたと思われる衣装に早替えで着替えながら、次々と披露してくれます。
南国風のドレスの飾りについていたバナナが、1本だけ跳ね返って突き出ているのがお約束のギャグでした。
客席の隣に座っていた、私と同じ世代の3人のグループが言っていました。
「ボブ・ディランよりずっと面白いな」
私(あたりまえだ! 比較にならん!)心の中で言いました。
(同時期にボブ・ディランも来日していました。私はあまり彼を好きではありません)
ここで第一部が終了。しばらくの休憩の後、シックな衣装に着替えたダイアナが再び現れ、、「モータウン・スト-リー」として、レーベル所属のいろいろなシンガー達が放った過去の大ヒット曲を紹介し、そのままシュプリームスのヒット曲メドレーへ移ります。
しばらくインターバルの後、ダイアナはアリーナの客席後部から、”Reach Out & Touch”を歌いながら現れます。(観客の「えー」っという声で私は「何だろう」と2階席から下を覗き込みました)
彼女は通路を歩きながら、観客と手をふれあい、時々握手をしながら歌い、ステージに上がらないまま客席を振り向いて「みんな一緒に!」と、Sing Outを促します。なんて幸福な時間!
最後のコーナー「大いなる飛躍」では、最新のヒット曲を中心に、これからも様々なことに挑戦してゆくことを、曲を通じて表現してくれました。
彼女の美しさ、曲の楽しさ。リズムに乗ってダンスをし、手を振ったりウィンクしたりおどけたり、様々な役や表情を演じながらの素晴らしい歌唱。
サービス精神にあふれて、涙が出そうになりました。当時20歳の私は34歳の黒人女性に、間違いなく恋をしていたと思います。
アンコールの”Ain’t No Mountain High Enough”で武道館は最高潮に到達し、コンサートは終了。興奮冷めやらぬまま、後ろ髪をひかれながら帰宅しました。
家に帰ってからも、何度もアルバムを聴き返してしまいました。ダイアナはとにかく声が素敵。まるで宝石のルビーやサファイアのような、神が与えた光輝く魔法の声です。歴史上、彼女の前にそういう声の人は誰がいたか・・・と言えば、エラ・フィッツジェラルドくらいかな?
お勧めのアルバム
ちょっと興奮しちゃいましたね。落ち着きましょう・・・。
彼女がソロでヒットを飛ばしていた頃、私は中学生~高校生だったのでお金が無く、リアルタイムでアルバムを買うことはなかなかできませんでした。
今はほとんどが廃盤になってしまいましたが、代わりに多くのベスト盤、コンピレーション盤が出ています(中古市場にも結構出回っています)ので、なるべく曲数の多い盤をお求めになればいいと思います。
もしも買えるなら”Touch Me In The Morning”の入った、1974年の同名のアルバムが、まずはおすすめです。
もう一つ、”Theme From Mahogany(マホガニーのテーマ)”や”Love Hangover(ラブ・ハングオーバー:愛の二日酔い)”の入った1976年の“Diana Ross(愛の流れに)”もいいアルバムです。喜劇王チャップリンが作曲した"Smile"がとてもいいです。
そして最重要のアルバムは、1980年の”Diana”。
当時彼女は36歳。”Love Hangover”の後しばらくヒットが出ず、人気に陰りが見えていた時期、大胆なイメージチェンジに成功した会心のヒットアルバムです。
お勧めの曲は
M1 I’m Coming Out
M3 Tenderness
M8 Uposide Down
余談ですが
ところでこのアルバム、私はLPレコードで持っていますが、折りたたんであるジャケットを広げるとこんな写真になります。
縦の長さは63cm。更に中側を見ると、↓ こんな写真が待っています。
LPレコードのジャケットというものには、こういう「おまけ」があります。好きなアーチストを目の前に感じられて、それぞれの曲にも真正面から存分に向き合うことができます。音だって、イヤホンではなく大型のスピーカーで、じっくり向き合って聴きたくなりますよね!
これが今どきの「サブスク」で「ストリーミング」で、一曲ごとに細切れで聴くだけの聴き方では、ちょっと聴いて何かあればすぐに止められるのは便利ですが、楽しみ方・味わいが薄くなってしまいます。
その方式では、音楽は何かをしている間に暇をつぶすために聴く、ただのバックミュージックになってしまう気がします。
すると長い曲や展開が変わる曲は好まれなくなり、すぐにメロディや歌が始まるものにシフトするようになり、前奏も間奏も不要になり、結局同じパターンがループするような曲ばかりが聴かれるようになる・・・最近の音楽の潮流は、そういうことなんじゃないでしょうか。
・・・おじさんは思うんだけど、そんな薄味の曲ばかりで満足できるのかな? アーティストへのLOVEやリスペクトはあるのかな? スターをスターとして受け止めることは、今の時代、流行らないんでしょうか?
LPやCDなどの「実物のある」メディアは、廃れてほしくないですね。
今回は興奮して長文過ぎました。お付き合いいただいてありがとうございます。
ではまた。
ダリル・ホール「パワー・オブ・セダクション」/Album「ソウル・アローン」
さて、D-のINDEXに行きましょう。最初にお勧めしたいのは、ダリル・ホール兄さんです。
ダリル・ホールさんと言えば、70年代後半から80年代にかけて一世を風靡し「史上最も売れたPOPデュオ」と言われた“HALL & OATES(ホール&オーツ)”の、ハイトーン担当の方ですね。
彼はH&Oでの活動とは別にソロアルバムを5枚発表していますが、これはその中の3枚目、1993年に発売された、とにかくカッコいいソウル・アルバムです。
彼は1946年(昭和21年)、アメリカ・ペンシルベニア州のポッツタウンという小都市に生まれました。成長し入学したフィラデルフィア市の州立テンプル大学でジョン・オーツと出会い、コンビを結成。
デュオとしてデビューする前からソウルミュージックの現場で、ギターやピアノ、バックコーラスなどのスタジオミュージシャンとして活動を始めています。
(その後のH&Oでの活動については次回)
このアルバムで、彼はソロとしてEpicに移籍。UKのソウル・グループ、ザ・チャイムスのベーシスト、マイケル・ピーデンがプロデュースを担当。
また曲づくりやバックコーラス、ベースなどに、アベレイジ・ホワイト・バンドのリーダーだったアラン・ゴーリーが参加し、H&Oにはないサウンドを提供しています。
しかし基本の部分では、長年のビジネス・パートナーであるサラ・アレンやサラの妹ジャンナも作詞に参加し、バッキングの演奏面は、H&OバンドのT-ボーン・ウォルク(Bs、G)やチャーリー・デシャント(Sax)が固めています。
そんなベーシックな部分と新しい試みとが共存し、新境地を開いた「H&Oファンが皆待っていた」アルバムであり、彼自身の音楽的ルーツであるファイラデルフィア・ソウルへの熱い思いが、ぎっしり詰め込まれたアルバムです。
お勧めの曲
捨て曲なし。全曲お勧めです!
M1 Power of Seduction
とってもクール! 真夏にピッタリの涼しげな曲です。
M4 I’m in a Philly Mood
そのものずばりの、フィラデルフィア賛歌です。
M5 Borderline
ぞくぞくするベースライン、これぞフィリーソウルといった曲。
M6 Stop Loving me,Stop loving you,
これはマーヴィン・ゲイのカバー。たまらなくスイート。
M8 Send Me
M9 Wildfire
この2曲も、本当に素敵です。
他にお勧めのアルバム
1996年に発売された、 “Can’t Stop Dreaming”です。
95年に、それまで活動を休止していたH&Oでの再結成ツアーがあり、その勢いのまま作られたと思しきこちらのアルバムでは、またレーベルをBMGに移籍し、マイケル・ピーデンとアラン・ゴーリー以外のメンバーを一新して制作されています。
内容については、「一人ソウル」の続編と言って良いと思いますが、前回がひたすらクールな印象だったのに比べ、少し温かみの加わった曲調・サウンドになっています。
言ってみれば、前回が冷凍庫で今回が冷蔵庫、という違いみたいな・・・(かえって分かりくいですかね・・・?)
でも本当に、今年の夏の記録的な猛暑の時期に聴くにはぴったりではないかな。ボディも頭もハートも、クールダウンしてくれる、でも最後にちゃんとハートウォームしてくれるアルバムです。お勧めですよ。
ではまた。
You Tube チャンネル 6曲目「恋の葛藤」を公開しました
本日、You Tube チャンネル6曲目「恋の葛藤」を公開いたしました。
ではいつものように、御用とお急ぎのない、暇で暇でどうしようもない方、変なものを見聴きしたがるモノ好きな方、何があっても冷静でいられる方、めったに怒らない気の長い方、耐えて聴いてみていただけますでしょうか。
今回は4分弱のご辛抱です!(短くするよう頑張りました!)
近況
右肩の怪我の療養も兼ね、相変わらず引きこもり生活を継続しております。
6月以降、ずっとこの曲に時間をかけて取り組んできましたので、Blogの更新回数が減っておりました。時々お立ち寄りいただく方々には、大変申し訳ありませんでした。
でもおかげさまで、オリジナル曲の制作については時間をたっぷり費やすことができ、編集のテクニックもそれなりに向上して来ているように思います。
しかしながら、貯金残高が厳しくなってきたので、そろそろテレワークのようなやり方で仕事ができないか、模索を始めています。
今後は、引き続き仕事と音楽とブログと家庭生活の4本柱で頑張って行こうと思います。
制作上の問題点
今回、最大の問題点は、やはりボーカルのクオリティでした。何しろ元の歌声の素性が悪すぎる。20回以上歌い直して、ようやくこのレベルまでしかたどり着けなかったという状況です。
とにかく声が出ない。朝起きた直後は、完全に老人の声です。ひどいときは枯れた風の音がするだけ。
実は昨年より、家内のすすめもあって一緒に「ボーカル教室」に通っているのですが、そこで教わった発声練習をして、体調を整えて、ようやく歌が歌えます。
しかし、いざ録音してみると、歌詞を歌う以外の「雑音」が結構出ています。ブレス音はもちろんですが、高い音程の音を出す直前に、「クッ」という子音だけとか舌の雑音などが出てしまうんですね。今回はNoise Gateを入れることで、音量の低い雑音をなんとかカットしてみました。
もともと高音が籠ったドンシャリな声なので、EQはハイ上がりにしないと子音が聞こえないし、かといって元がかすれているからやりすぎるとガラガラで、結局エキサイターをかけながらでディエッサーも入れるという、GOTOトラベル呼びかけながら活動自粛するみたいことをMIXER上でやっています。
その影響で、メモリ8GBのMACには負荷がかかって時々パチパチノイズが発生します。もう、買い換えなきゃ無理かな…
それにしても声については、本当に体の「老化」を感じます。世界の権力者や大富豪が不老不死を求めた気持ちも、少しわかるようになってきた昨今であります。
他の曲も早く完成させないと、表現そのものができなくなってしまう‥焦りは募りますなあ。
でも! まだ間に合うと思うので、今後も対策を講じながら引き続き頑張ってまいります。今後も随時完成した曲をアップして行きますので、チャンネル登録をよろしくお願い致します。
kenro songs
https://www.youtube.com/channel/UCTQ1e5Pye3cYOBxqhay0fMg/videos
ではまた。
クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル「サムディ・ネバー・カムズ」
C-から始まる名前のアーティストとして、私の年代ではどうしても忘れられないCCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)をお勧めしておきましょう。
彼らは1968年に、トムとジョンのフォガティ兄弟を中心にした4人組のギターバンドとしてデビュー。サイケデリックなイメージのブルースロック“Susie Q(スージーQ)がいきなり全米11位、ゴールドディスクとなるヒットとなり、その後5年間、19曲をチャートに送り込む常連となって活動を続けました。
CCRの音楽性
その音楽性は、ニューオーリンズの匂いのするようなブルースやカントリー&ウエスタン、ロカビリー、R&Bなどのルーツ・ミュージックに根差していました。しかし彼らの最大の特徴は、それらルーツの濃厚な香りを残しながらも、分かりやすいメロディと短めの時間軸でのシンプルな曲作りに尽きると思います。
ほとんどが弟のジョン・フォガティの作曲・ボーカル・リードギターによるものだったのですが、それは当時のアメリカの若者達だけでなく、ロックを聴き始めたばかりの日本の少年たちにも、親しみやすく聴きやすいものでした。
私も高校生~大学生時代、Proud Mary(プラウド・メアリー)やHave You Ever Seen The Rain(雨を見たかい?)など、アマチュアバンドの練習曲として、ずいぶん使わせてもらいましたね。
アルバムを買うなら・・・
今私が持っているのは2008年に発売されたグレイテストヒッツですが、20曲入ったお徳用にもかかわらず、合計の演奏時間は68分、1曲平均3分24秒しかありません。
最大のヒットである’Proud Mary’が3分07秒、続いて同じく全米2位になった’Bad Moon Rising’に至っては、2分18秒しかありません。普通のアルバムを買うと30分以内で全曲終わってしまうので、とてもコスパが悪い!
そして正直に言えば、アルバムごとのトータルコンセプト性はほとんどないので、今聞こうと思うなら、ベスト盤のほうが良いと思います。
一番のお勧め曲
なお私としては、彼らの一番の曲は、彼らの解散前の最後のシングルとなった名曲、‘Someday Never Comes’です。
彼らには珍しく3分57秒もあるこの曲で、ジョンは、自分の親の離婚や自分自身の離婚体験をもとに、子供に対するメッセージとして次のように歌っています。
「父さんは、お前もいつか大人になればわかるさって言ってたけど、いつか(Someday)きっと・・・なんて思っているだけじゃ来やしない(never comes)。早いうち・若いうちにやるべきなんだ」
余談ですが
このシングル盤は昭和47年(1972年)10月に入手しました。
当時中学生の私は修学旅行で行った京都・大徳寺大仙院の尾関宗圓和尚の講話「今やらずにいつやる!」を実際に聴いた後だったので、「ああ、ジョン・フォガティも同じことを言っている・・・」と気づき、しみじみ聞いていた覚えがあります。最近で言うなら、予備校講師の林先生の「今でしょ」と似たメッセージですね。
中学時代からそう思って生きてきたものの、その時その時で結局「今やるべき事」に追われ、やっぱり「いつかきっと」と思っていることはなかなかできないまま、現在に至ってしまいましたね。若い方々、気を付けましょう。
ではまた。
シカゴ「グッドバイ」/Album「シカゴⅤ」
去る7月4日:Fourth of julyはアメリカ独立記念日、そして土曜日でした。となれば、♩Saturday in the park~ということで、私が最も多くの年月にわたって曲を聴き続けているバンド、Chicagoをお勧めしたいと思います。(本当はタイムリーにアップしたかったんですが、入院手術で忙しく遅れてしまいました)
彼らは1966年の結成以来54年、いまだ現役で毎年全米ツアーを行うモンスターバンドであり、デビュー以来、今までコンピレーションも含め40枚以上のアルバムを発表しています。
あくまでも私の好みでしかありませんが、数多い作品の中から一番おすすめしたい曲・一番お勧めしたいアルバムと言えば、悩みに悩んだ末、前掲のサタデイ・イン・ザ・パークが収録されている”ChicagoⅤ”と、その7曲目にあるひたすらクールな“Goodbye”をお勧めします。
その前に、ちょっと寄り道(子供の頃の思い出)
①中学時代のChicagoの人気
私は1958年生まれですが、Chicagoがデビューしたのが1969年、そしてあの”25 or 6 to 4(長い夜)”がヒットしたのが1970年、私が中学に入学した年でした。
当時、中学校でもChicagoは大人気。同級生の男子が何人もクラブ活動の「吹奏楽部」に入部し、その結果、吹奏楽部は実質「ブラスロックバンド部(ほぼChicago部)」となり、文化祭の時には音楽教室の壁に「アット・カーネギーホール」の付録の全紙ポスターを貼り、それをバックに彼らの曲を演奏して、大好評を博していました。
そんな当時の友人たちや現在の比較的高齢のシカゴファンからすれば、一番好きな曲は”25 or 6 to 4(長い夜)”に決まりだと思います。ただ、ヒネクレ者の私はそうではありません。
②最初に買った、4曲入りLPシングル(珍品かな?)
これはいったい何かと言うと、2枚目のアルバム「‘Chicago’(シカゴと23の誓い)」を元に、17Cmサイズのシングル盤を、通常の45回転ではなく33 1/2回転にして録音可能時間を稼ぎ、4曲だけ収録したアナログレコードです。23曲からわずか4曲取り出しただけなので「Chicagoの誓い」とタイトルされています。
LPが買えない貧乏な子供用に、当時はこういうものが結構出回っていました。
小学校5年から洋楽に目覚めた私は、当時6石ラジオ(昔は真空管の「管」に対してトランジスタを「石」と言いました。6石とは「6個も入っている」ということ)でAM放送を聴いていましたが、学校の音楽室で聴くようないい音で、ステレオで聴きたいという欲求から、小遣いを半年以上節約し、秋葉原の電気屋さんに行ってVictorのレコードプレーヤー専用機(約6500円位)を買ってきました。音はそれほど良くありませんでしたが、とにかく「ステレオ」だったのがうれしかった。
しかし機械にお金を使ってしまったので、LPレコードを買う資金が残っていません。そこで手を出したのが、600円のこれです。
大好きなMake Me Smileが入っていたので買いました。それまで家にはモノラルの「電蓄(電気蓄音機という)」しかなかったので、左右2台のスピーカーの間を、ドラムのフィル音が右から左へ流れただけで「あ~ステレオだ~」と感動していましたね。
③最初に買った、Chicagoのアルバム「栄光のChicago」
いつまでも4曲だけでは辛いので、翌年、お年玉で買ったのがこちら。これは、彼らの初来日の記念盤として、日本のCBS/SONYレーベルで独自に企画・デザインし発売したものです。いかにもアメリカンなジャケットじゃないですか~。ChicagoⅢのジャケットのボロボロの旗の原型にも思えて、なかなか粋です。定価¥2100。
内容は1st~3rdまでのLPからのヒット曲を12曲集めた初期のベストアルバムとなっています。これは本当にレコードが擦り切れるまで聴き倒しました。
④私にとってのChicagoの魅力
私がシカゴを意識したのは「長い夜」の前にヒットした”Make Me Smile(僕らに微笑みを)”であり、完全にファンになったのは、翌年にデビューアルバムから再発されヒットした”Questions67/68”でした。
なぜそうなのかと言えば、私はそもそも、多くの男子が魅力を感じると思われる「スリル・スピード・サスペンス」にはあまり興味がありません。だからRock Musicというカテゴリーそのものにあまり思い入れがありませんでした。
それよりも興味が沸くのは、洋楽における(日本の歌謡曲・フォークには全くない)POPで明るいメロディと様々な楽器によるアンサンブル、豪華なアレンジとハーモニーです。
例えば”Make Me Smile”の場合、歌詞の部分のメロディだけを聞くと、そう大した曲ではありません。ためしにギターかピアノでコードを弾いてゆっくり歌ってみると、マイナーでブルーな失恋を歌ったただの暗い曲にすぎません。
ところが、これがメンバーでトロンボーン担当のJames Pankowさんのものすごいアレンジにより、とんでもなくきらびやかで華麗な「ハレの日」の曲に代わってしまうのです。(実際、この曲はコンサートのオープニングに使われることがしばしばです)
逆に言えば、派手なオープニングでブラスが響き、ノリのいいリズムで盛り上がって、何が始まるのかな?とわくわく聞いていて、ついに曲が始まると、「あれっ?地味・・・」と言った具合。でもその「落差」がまた「癖」になるのです。
⑤「これはRockなのか?」
私はもともと、ビートルズはあまり好きではありません。良いメロディがあることは意識していたのですが、サウンドのチープさが嫌で聴く気になれませんでした。
リッケンバッカーのギターのガチャガチャしたトーン、John とPaulの微妙に音程が外れた高音域でのコーラスも気持ちが悪かったし、当時のアンプや機材の未発達もあって全体として低音不足の音質が物足りません(特に初期)。
Rock Musicはビートルズを筆頭に、エレキギターがサウンドの主体です。ところがChicagoのアルバムでは、ブラスが3管入って盛大に響かせる、それまでのRockの常識を破った本当に革新的な音、そう極めて「Hi-Fi」な音がしていました。「これは今までのRockとは違う、New Rockなんだ」と思いましたね。
⑥ベースの音量がでかい!
ほとんどの曲で聴こえるのはドラムとベースとブラスばかり。ギターはボーカルの無い間奏の時しか聞こえません。しかしいざギターが前に出て来ると、ハチャメチャな暴走特急のようなソロが痛快です。
ボーカルは音域の違うボーカリストが3人いて、パートを分担してハモったり、曲を歌い分けている。そして3管ブラスの絶妙なアンサンブルとJAZZフレーバーあふれるソロ、下支えするトロンボーンの重厚な低音!
アルバム全体はと言えば、デビュー以来3枚連続2枚組LPという物量作戦。と言っても冗長ではなく、とにかくアイデアの洪水。どの曲も実験性にあふれていて、アルバムはまるで実験室の中で、目の前で未知の薬品の調合実験を見ているような、そこに臨場しているようなイメージで、煙は出るわ火花は散るわ新しい物質は生まれるわで、驚きと興奮の連続です。
当時LP2枚組は3600円。親からもらっていた小遣いが月に1000~2000円くらいでしたから、貧乏な家の子供の乏しい小遣いではとても手が出ません。でもそのゴージャス感、デラックス感が、「あこがれのアメリカ」の象徴の一つだったんですね。
Beatles由来のイギリス発祥のRockが、なんだか貧相なものに思え「アメリカはこうなんだ! 元の豊かさが違うな~」と感動しながら聴いていました。
Chicgo Ⅴ の魅力(やっと本題です)
そんな彼らも初期の爆発的な迸りを4枚組LP「ライブ・アット・カーネギーホール」(当時6800円)で一段落させ、その後ようやく1枚もののアルバムを発表しました。それが”ChicagoⅤ”です。
これはJAZZやブルースに根ざし政治的メッセージとともにヘビィな演奏を展開するブラス・ロック・バンドであったChicagoが、POP志向のバンドへと変貌していくターニングポイントとなったアルバムであり、初の全米No.1となり、更に以後Ⅺまでの7枚が連続No.1となるスタートの1枚でもあります。
お勧めの曲(全曲おススメですが・・・)
M4~M5 Dialog part 1 & 2
ラジカルな政治運動に参加している学生とノンポリ(これも死語ですね。ノンポリシーということ)の学生との会話(ダイアログ)という歌詞。そんな会話がこんないいメロディとウキウキするリズムに乗って歌われることへの違和感がクセになる1曲です。
メンバーがカーネギーホールより演奏も録音もよかったと絶賛した、ライブインジャパンで、オープニングの曲になりました。
M7 Saturday in the Park
7月4日、アメリカ独立記念日のセントラルパークの情景を歌ったヒット曲。大作主義・長時間主義・濃密アレンジ主義の彼らにしては、ずいぶんシンプルにコンパクトにまとめた印象。コード進行にキャロルキングの影響も感じられます。(Billboard 3位)
M8 State of the Union
何と、アメリカ大統領の「一般教書演説」をテーマにした曲。日本じゃ絶対ありえないですよね。当時彼らは大統領選挙において、共和党のニクソン氏の対向である民主党のマクガバン氏を応援していました。その落選の失意が元なのか、かなり過激に「システムを壊せ」と歌います。サウンドで「怒り」を表現しているような曲。やっぱりRockしています。
M9 Goodbye
変拍子を多用したJAZZ/フュージョンナンバー。重厚なブラスアンサンブルと躍動するベースラインが全体を引っ張り、その上にPeter Ceteraの爽やかなボーカルと浮遊感のある歌詞・メロディが乗って展開します。
歌詞そのものは「高く舞い上がり空に触れ・・・」と、飛行する描写なのですが、私のイメージでは、急行列車が大都市のターミナル駅を出発し、大陸横断を目指してひたすら走り続けて行くような光景が展開します。
またひたすら何かを探し続けて咆哮するトランペットのソロにも心を奪われます。「クラシックに根差していないプログレ」と言っても良いかもしれません。私は個人的に、これが彼らのNO.1ソングです。
もちろん他のChicagoファンの皆さんからは、Vやシングル化もされなかった地味な’Goodbye’を最高と位置づけるのは、多くの異論が出ると思いますが、これは私の趣味なのでご勘弁ください。
その後~現代のChicago
初期の頃、ラジカルな政治的メッセージと緻密でエモーショナルな演奏力で、若者を強力に引き付けた時代、POP路線に舵を切り、出すアルバムが連続して全米1位になった時代、リーダーでギターのテリーキャスの死によって訪れた低迷期、パワーバラード・バンドとして復活を遂げた時代、ブームが去ったその後の低迷期、そして現在の、往年のヒット曲やビッグバンドJAZZ、クリスマスなどの多彩なテーマをちりばめて進行する“国民的バンドの定番曲・安心ツアー”路線・・・。
彼らはその長い歴史の中で音楽性を変化させ続け、メンバーチェンジも何度も行ってきました。ですから、初期のハードロック・ブルースロック的な音楽性に限定したファンもいれば、中期以降のパワーバラード時代のファンもいるし、ジャズ・バンド的な部分でのファンもおられることでしょう。
彼らにはそれだけの歴史があります。それは「輝かしい」と見る人がいる反面、「紆余曲折」「落ちぶれた」「とっくに終わっている」と感じる人もいるでしょう。
それでも彼らは、今もメンバーチェンジを繰り返しながらツアーを続け、ジョイントで連れてきた他のバンド(ビーチボーイズ、EW&F、ドゥービーブラザース、ヒューイルイス&ザ・ニュース、REOスピードワゴン等)といっしょになって、アンコールでは今でも「長い夜」を、思い入れたっぷり・お約束たっぷりに演奏し続けているのです。
その間、少しづつ新曲も発表し続けながら。
それは創業50年を超えた老舗企業の歴史を見ているようです。さしずめキーボードのRobert Lammさんが社長かな。
そろそろ終焉も近いと思うけれど、同じ時代を共有してきたファンとしては、行けるところまで頑張ってほしいです。
長文にお付き合い頂き、誠にありがとうございました。
ではまた。
かの香織「放課後のサブリナ」/Album「ファイン」
たまには邦楽のアーチストも推しましょう。今回はかの香織さんです。てっきりK-から始まる人だと思っていましたが、よく見るとCano Caoriと表記されていました。
このアルバム“fine”は1991年の彼女のデビュー作です。私は当時、何気なくFMラジオを聴いていて流れてきたこのアルバムの曲のメロディが頭から離れず、急いでこのCDを手に入れました。
当時、30過ぎて子供もいる「おっさん」だった自分が、こんなアイドル系みたいなCDを買うのには少なからず抵抗がありましたが、いざ手に入れて聴いてみると、Vitamin POPというキャッチコピーそのもの。とても良いアルバムです。
どちらかと言えば女子高生的な、20歳前後の若い女性の感覚に満ち溢れていますが、明るく冒険心にあふれ、感受性豊かなみずみずしい感覚で歌詞やメロディが作られており、今聞いても少しも古さを感じません。
バックも、元・四人囃子やプラスチックスで活動した佐久間正英氏らが全面的にサポートしプロデュースもされていて、充実した演奏・アレンジが光っています。「買ってよかった」と思える好盤です。
おすすめの曲
特にシングル化は無かったようですが、佳曲がたくさんあります。
M2 ほんものがいっぱい
M5 みちくさ
M6 放課後のサブリナ
M10 SOINE
かの香織さんの、他のおすすめアルバム
Extra Bright
こちらは94年の作品。アルバム全体のトーンはfineの延長線上と言えると思いますが、ここで聴くべきは何と言っても M3 青い地球は手のひら でしょう。
当時世はバブル崩壊後の「平成大不況」の真っただ中であり、景気のいい話がほとんどなかった時代。でも、高校生の頃自転車に乗って地元の街を走り回っていた少女は、4年後、大人になって仕事で成功し、長期バカンスの権利を得て世界に飛び出し、見聞を広げている・・・そんなサクセスストーリーが垣間見える歌詞とサウンドです。
私は当時この曲を聴きながら、安月給のサラリーンのひがみよりも素直にあこがれを感じて「いつか自分もそんな風になりたいな」と思いながら、愛聴していました。(結局、安月給のままでしたが・・・)
そしてこのアルバムは、全体を通して海外の、又は海外で活躍するミュージシャンがたくさん参加しています。特にこの曲のリズムは、ドラマーの屋敷豪太氏がプログラミングしていたようです。
またこの頃には、デビュー時から感じていた発声や発音の「クセ」がだんだんエスカレートして、「クセがすごい」状況になって来ています。
聴く人によって好き嫌いは別れるとは思うのですが、私からすれば、そのこともまた、いかにも気持ち(思い入れ)が入っている感じがして良いんだなあ。
これも何回も「一曲リピート」してしまった曲です。
今どきのJ-POPと違うのは、アルバム全体を通して、とにかく曲調がメジャーで明るいこと。安易にマイナーでアップテンポにして(日本人に最もウケる線を狙って)、ただひたすら「売ろう」とするのではなく、ちゃんと「目指す音楽性の軸を持っている」ということ。
右から左へ消費されてゆく流行歌(=商品)ではなく、作品(=文化)を作ろうとしている。その心意気が感じられる点が、とても素晴らしいところだと思います。
ソロシンガーとしてのかのさんは2005年ころまで活動されていたようですが、並行してCMやアニメのテーマ曲を作ったり、他のアーチストのコラボに参加したり、その後も幅広い活動をされています。
また近年は宮城県のご実家の酒蔵を継いでおられるとか。更に2016年には音楽セラピーのNPO法人を立ち上げ、精力的に活動されているようです。大した方ですね。
ではまた。
カーペンターズ「ア・ソング・フォー・ユー」(Album)
C-から始まるフェイバリット・アーティスト。前回キャロル・キングをお勧めした関係もあり、「アメリカンポップス大好き人間」として、カーペンターズを外すわけには行きません。
彼らはボーカルのカレンの存命中に9枚のスタジオアルバムを発表していますが、中でも最高傑作と言えば、誰が何といっても、1972年発表の”A Song For You”です。
このアルバムは、メロディ・アレンジ・歌唱・ハーモニーのどこを聴いても非の打ち所のない、彼らの最高傑作と言えます。発表からもうすぐ50年が立ちますが、キャロル・キングの’Tapestry’と並びPOPSの歴史に残る最重要アルバムの一つであり、POPSファンならば必ず聴いておくべき一枚でしょう。
中には13曲が収録されていますが、なんと6曲もシングルカットされ、いずれもTOP20以上の大ヒットを記録しています。
アルバム内の聴きもの
M1 A Song For You
これは言わずと知れたレオン・ラッセル作の名曲。シングルカットはされていませんが、ぜひしっかり味わいたい、アルバムのタイトル曲です。
レオン本人も含め、これまで様々なアーティスト・歌手がレコーディングしていますが、アレンジも含めた曲全体の完成度は、このカーペンターズ・バージョンが最高峰ではないでしょうか。オルガンやストリングスの印象的なフレーズ、重厚なコーラスに支えられ、情感たっぷりに歌うカレンの声が耳に残ります。
M2 Top Of The World
過去曲のカバーかと思いきや、リチャードの作によるカントリー・タッチのオリジナル曲です。
全米NO.1になり日本でも広く人気を定着させた曲ですが、これと後年の“Sing”の2曲で、カレンは「歌のお姉さん」イメージがついてしまった感はあります。
デビュー2枚目のシングル “Close To You” (遥かなる影)で魅了された私としては、「年上の恋人」というイメージが崩れてしまい、あまり好きではありませんでしたが。
M3 Hurting Each Other
全米2位のドラマティックなカバー曲です。当時中学生で英語を習い始めた私が、「”Each Other”って『お互いに』っていう意味だったな~」と納得して聴いていました。
M4 It’s Going To Take Sometime (小さな愛の願い)
キャロル・キング作品のカバー、全米12位。「本家」はシンプルなアレンジの曲ですが、こちらでは生ピアノをエレピに変えて軽い印象にし、ストリングスやコーラスで厚みを加え、フルートで清涼感をプラスするというアレンジが施されています。何よりリチャードのピアニストとしての技術は、キャロルより上ですね。
M5 Goodbye To Love (愛にさよならを)
静かに始まるバラードなのに、途中から演奏がロックビートに変わり、間奏でディストーション・ギターがリードを取る・・・いわゆる「パワーバラード」の元祖と言っても良い曲です。リチャードの作で全米7位。
M10 I Won’t Last A Day Without You(愛は夢の中に)
こちらはポール・ウィリアムスの曲。彼独特のナイーブなメロディが、安らぎを感じさせてくれます。(彼のことはいずれPの時にお話しします)
この曲だけは2年後のアルバム再発時にシングル化され、全米7位になっています。
M12 Road Ode (明日への旅路)
アルバムの最後を飾る曲は、リチャード作でもカバーでもなく、バックバンドのメンバーが書いた曲とのこと。コンサートツアーの苦しさを吐露する内容ですが、とても哀愁を帯びた、彼らなりのブルースを表現している佳曲です。
間奏のホルンやクラリネットなどのホーンアレンジも絶妙で、エレキ楽器との混ぜ具合も心地よく、アーティストのオンステージとバックステージの、それぞれの情景が見えるような深い味わいです。
この後はM13として、”A Song For You”のリプライズが1分ほどあり、アルバムは余韻を残しながら終了。いわゆるトータルアルバム的な作りです。
なかなかCD以降~ストリーミングの時代には表現できない、「音」にならない「空気」の部分まで味わうことのできる、これは本当にいいアルバムです。
カーペンターズとは
カーペンターズ(中学英語で訳せば「大工さん達」)は兄妹デュオのグループで、兄のリチャードが作曲とアレンジ、ピアノとコーラスを担当。妹のカレンがリード・ボーカル、ドラムス、コーラスを担当していました。
その魅力は何といってもカレンの、神から与えられた類まれなる声質を活かした、情感たっぷりのボーカルです。しかしカーペンターズの音楽の本当の中身は、兄リチャードの、クラシック音楽の知識と経験を元に、重厚なコーラス・ハーモニーやロック的なアプローチを随所に盛り込んだ、絶妙のアレンジ/プロデュースにあります。
兄リチャードは1946年( 昭和21年)生まれの現在74歳。妹カレンは1950年( 昭和25年)生まれ。生きていれば70歳。日本で言う「団塊の世代」を上下で挟んだ年齢で、まだ現役でバリバリやっていてもおかしくありません。
そのカレンが83年に突然亡くなってしまったのは、当時大きな衝撃でした。今でも本当に残念でなりませんね。
リチャードの才能を考えれば、その後も他のアーチストのアレンジやプロデュースを手掛けていておかしくないと思うのですが、カレンの死がよほどショックだったのか、以後もカーペンターズ名義の活動は続けておられますが、別のベテラン歌手に対して曲を提供したとか、新人歌手のアレンジやプロデュースをしたという話は聞きません。
彼にとっては、カレンの死後、彼女に匹敵するような、自分の才能を触発されるような素材としての歌手に出会うことはなかったのでしょう。
確かに現在まで、カーペンターズを超えるPOPユニットは現れていないと思います。でもカーペンターズの音楽のファンとしては、できるなら(その能力は十二分にあるのだから)リチャードさんには「第二のカーペンターズ」を作ってほしかったな・・・。
ではまた。