ダイアナ・ロス「タッチ・ミー・イン・ザ・モーニング」
Dから始まる名前の中で、是非お勧めしたいのが、女性歌手のDiana Rossです。彼女は「アメリカで最も成功した黒人女性歌手の一人」と言われており、私が思うに、100年に一人の「神が与えた魅惑の声」の持ち主です。
このLPは1976年、カリフォルニアのユニバーサル・アンフィシアターで行われたライブ・レコーディングの2枚組、”An Evening With Diana Ross”(邦題:めぐり逢い)です。
DIANA ROSSとは
彼女は1944年、アメリカ・ミシガン州デトロイト生まれ。高校生の時にアルバイトで入ったモータウン・レコードで認められ、高校の友達と結成した女性コーラスグループの一員としてデビュー。最初プライメッツと呼ばれたそのグループは、後にシュプリームスと名前を変え、モータウン・レコード所属の鉄壁ソングライター・チーム、ホランド=ドジャー=ホランドのバックアップの元、60年代、イギリスのビートルズに対抗できるアメリカ側のグループとして、12曲もの全米No.1ヒットを放っています。(ビートルズは20曲ですが)
70年に彼女はソロとなり、”Ain’t No Mountain High Enough”がいきなりの大ヒット。1971年には映画「ビリー・ホリディ物語」に出演してジャズにも挑戦。ゴールデングローブ賞を受賞するなど大活躍。このJAZZシンガー期も、結構いい雰囲気なんですよね。
その後も2本の映画に出演しながら、6曲の全米NO.1ヒットを飛ばしています。
1980年のアルバム”Diana”では、時のディスコブームの立役者の一人、シックのナイル・ロジャースをプロデューサーに迎え、大幅なイメージチェンジに成功。最大のヒットアルバムとなりました。
1981年にはコモドアーズのライオネル・リッチーとデュエットした”Endress Love”が年間チャート1位。そして1985年にはUSA forAFRICAにも参加。
最後の世界的ヒットは1988年の”If We Hold on Together”でした。90年代以降は主にアメリカのTV映画で、女優として活躍しているようです。
直近では2017年のアメリカン・ミュージック・アワードにゲスト出演し、特別功労賞を受賞していました。(その時のショウの司会は次女で女優のトレイシーでした)だいぶ太っていたし声もかすれていましたが、まだまだ元気一杯でしたね。
私のDIANA ROSS体験(来日コンサートに行ったこと)
1978年私が20歳の時、彼女は来日してくれました。私はアルバイトで稼いだお金でチケットを買って日本武道館でコンサートを見ました。(ダイアナ・ロスを好きな友人も恋人もいなかったので、一人で行きました)
その日は、アンフィシアターとほぼ同じ構成のコンサートでした。
オーケストラが彼女のヒット曲をメドレーにした前奏曲を奏で、舞台が暗転した後、ダイアナがぱっと現れます。身にまとったドレスの布地を黒子が引っ張ると、何メートルも生地が横に伸びて行き、それがスクリーンとなって、彼女の少女時代やシュプリームス時代の映像が映されます。
その映像で大まかなプロフィールが紹介されると曲が変わり、ドラムロールの後ファンファーレが響き、一曲目”Here I Am”(バート・バカラック&ハル・デヴィットの曲)が始まります。目の覚めるようなスポットライトが彼女を照らします!
「あーこれが本場のショウなんだなー(涙・涙)」
当日のコンサートはなんと6つのテーマ別のコーナーに分かれていました。
まず開始直後は彼女のヒット曲を惜しげもなく続け、次のコーナーでは舞台装置が変わり、シンガーソングライターのニルソンが作った「オブリオの不思議な旅」を披露。
再度着替えた後は、過去の偉大な黒人女性歌手(ビリー・ホリディ、ジョセフィン・ベイカー、エセル・ウォーターズ、ベッシー・スミス)をトリビュートするコーナーとなり、彼女達の曲を、当時ステージで着ていたと思われる衣装に早替えで着替えながら、次々と披露してくれます。
南国風のドレスの飾りについていたバナナが、1本だけ跳ね返って突き出ているのがお約束のギャグでした。
客席の隣に座っていた、私と同じ世代の3人のグループが言っていました。
「ボブ・ディランよりずっと面白いな」
私(あたりまえだ! 比較にならん!)心の中で言いました。
(同時期にボブ・ディランも来日していました。私はあまり彼を好きではありません)
ここで第一部が終了。しばらくの休憩の後、シックな衣装に着替えたダイアナが再び現れ、、「モータウン・スト-リー」として、レーベル所属のいろいろなシンガー達が放った過去の大ヒット曲を紹介し、そのままシュプリームスのヒット曲メドレーへ移ります。
しばらくインターバルの後、ダイアナはアリーナの客席後部から、”Reach Out & Touch”を歌いながら現れます。(観客の「えー」っという声で私は「何だろう」と2階席から下を覗き込みました)
彼女は通路を歩きながら、観客と手をふれあい、時々握手をしながら歌い、ステージに上がらないまま客席を振り向いて「みんな一緒に!」と、Sing Outを促します。なんて幸福な時間!
最後のコーナー「大いなる飛躍」では、最新のヒット曲を中心に、これからも様々なことに挑戦してゆくことを、曲を通じて表現してくれました。
彼女の美しさ、曲の楽しさ。リズムに乗ってダンスをし、手を振ったりウィンクしたりおどけたり、様々な役や表情を演じながらの素晴らしい歌唱。
サービス精神にあふれて、涙が出そうになりました。当時20歳の私は34歳の黒人女性に、間違いなく恋をしていたと思います。
アンコールの”Ain’t No Mountain High Enough”で武道館は最高潮に到達し、コンサートは終了。興奮冷めやらぬまま、後ろ髪をひかれながら帰宅しました。
家に帰ってからも、何度もアルバムを聴き返してしまいました。ダイアナはとにかく声が素敵。まるで宝石のルビーやサファイアのような、神が与えた光輝く魔法の声です。歴史上、彼女の前にそういう声の人は誰がいたか・・・と言えば、エラ・フィッツジェラルドくらいかな?
お勧めのアルバム
ちょっと興奮しちゃいましたね。落ち着きましょう・・・。
彼女がソロでヒットを飛ばしていた頃、私は中学生~高校生だったのでお金が無く、リアルタイムでアルバムを買うことはなかなかできませんでした。
今はほとんどが廃盤になってしまいましたが、代わりに多くのベスト盤、コンピレーション盤が出ています(中古市場にも結構出回っています)ので、なるべく曲数の多い盤をお求めになればいいと思います。
もしも買えるなら”Touch Me In The Morning”の入った、1974年の同名のアルバムが、まずはおすすめです。
もう一つ、”Theme From Mahogany(マホガニーのテーマ)”や”Love Hangover(ラブ・ハングオーバー:愛の二日酔い)”の入った1976年の“Diana Ross(愛の流れに)”もいいアルバムです。喜劇王チャップリンが作曲した"Smile"がとてもいいです。
そして最重要のアルバムは、1980年の”Diana”。
当時彼女は36歳。”Love Hangover”の後しばらくヒットが出ず、人気に陰りが見えていた時期、大胆なイメージチェンジに成功した会心のヒットアルバムです。
お勧めの曲は
M1 I’m Coming Out
M3 Tenderness
M8 Uposide Down
余談ですが
ところでこのアルバム、私はLPレコードで持っていますが、折りたたんであるジャケットを広げるとこんな写真になります。
縦の長さは63cm。更に中側を見ると、↓ こんな写真が待っています。
LPレコードのジャケットというものには、こういう「おまけ」があります。好きなアーチストを目の前に感じられて、それぞれの曲にも真正面から存分に向き合うことができます。音だって、イヤホンではなく大型のスピーカーで、じっくり向き合って聴きたくなりますよね!
これが今どきの「サブスク」で「ストリーミング」で、一曲ごとに細切れで聴くだけの聴き方では、ちょっと聴いて何かあればすぐに止められるのは便利ですが、楽しみ方・味わいが薄くなってしまいます。
その方式では、音楽は何かをしている間に暇をつぶすために聴く、ただのバックミュージックになってしまう気がします。
すると長い曲や展開が変わる曲は好まれなくなり、すぐにメロディや歌が始まるものにシフトするようになり、前奏も間奏も不要になり、結局同じパターンがループするような曲ばかりが聴かれるようになる・・・最近の音楽の潮流は、そういうことなんじゃないでしょうか。
・・・おじさんは思うんだけど、そんな薄味の曲ばかりで満足できるのかな? アーティストへのLOVEやリスペクトはあるのかな? スターをスターとして受け止めることは、今の時代、流行らないんでしょうか?
LPやCDなどの「実物のある」メディアは、廃れてほしくないですね。
今回は興奮して長文過ぎました。お付き合いいただいてありがとうございます。
ではまた。